インドネシアサッカーの悲劇で日本の警察のメンツがつぶされた?
インドネシアのプロサッカーの試合で起こった悲劇。催涙ガスを発射した国家警察の対応に国内外から批判が集まっているが、この国家警察、実は日本と深いつながりがあるようだ。
その前に悲劇を振り返りたい。
発端は2022年10月1日夜。東ジャワ州マラン県のカンジュルハン競技場で開催された国内リーグ1部、アレマFCのホームゲームのことだ。ホームで20年以上も負けてなかったアレマFCが、ライバル関係にあったクラブに逆転負けを喫した。
当日は、一触即発の両サポーターの衝突を避けるべく、試合にはアレマFCのサポーターしか入場させなかったという。しかし、敗戦に怒った地元のサポーター約3000人がスタジアムに乱入し、警備にあたっていた国家警察が騒ぎを抑えようと催涙ガスを発射した。
20年も負けてないって、単純にすごい。
その不敗神話が終わった瞬間を目の当たりにしたサポーターの気持ちも分からなくはないが、選手を追っかけたところで…とも思う。
催涙ガスで呼吸困難になったサポーターはパニックになった。出口に殺到し、ドミノ倒しに。踏みつけられて圧死する人、呼吸困難で窒息死する人が出て、少なくとも125人が死亡した。そのうちの30人ほどは子どもだという。犠牲者の方々には心から哀悼の意を捧げたい。
国際サッカー連盟(FIFA)は、スタジアムでの催涙ガスの使用を禁じている。FIFAは来週には現地に調査団を派遣し、現場を視察するようだ。
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インドネシアのサッカー熱が高いことは、以前に見たテレビの情報で知っていた。けっこう過激なサポーターがいることも。だから、国家警察が警備につくのだろう。
この国家警察。調べてみると、もとは国軍の一部だったという。
インドネシアは、30年におよんだ独裁的なスハルト政権が1998年に崩壊し、その後は民主化の道を歩んでいる。
政治改革の一環で、それまで治安維持を担っていた国軍(陸・海・空・警察)から、国家警察が分離独立した。2000年のことだ。
国内治安の責任を委ねられた国家警察は、国内犯罪に献身的に対応する、国民の信頼を得た「市民警察」に生まれ変わる必要があった。
そこで、インドネシア政府がモデルにしようと考えたのが日本の警察だった。国家警察の組織、制度、人員などの構造改革への支援を日本政府に要請。これに応じた日本政府は、国際協力機構(JICA)を通じて2001年から「インドネシア国家警察改革支援プログラム」をスタート。現在も継続中だ。
こんなつながりがあったとは…。まったく知らなかった。
これまで国家警察の若手幹部が来日して交番勤務を視察したり、日本からアドバイザーを派遣したりと、協力関係を続けてきたという。
それで、国家警察のとりわけ大きな課題はというと、国民の信頼を得ることだという。それは30年におよぶ独裁体制の中で、警察組織は腐敗し汚職が蔓延したからだ。
例えば、警官が市民に何かの許可を与えるとき、非合法な金品を要求する行為が常態化していて、国民の警官への印象は最悪なんだとか。発展途上国ではよくある光景かもしれないが。
支援プロジェクトを始めて20年以上が経ち、一部の警察署では徐々にその成果がみられているという。しかし、そんな中で、今回、国民の信頼を失う痛ましいサッカーの悲劇が起こってしまった…。
そう考えると、日本の警察にとっても、とにかく残念で、悔しい出来事だろう。なにせ国民から愛される警察組織になるための支援を行っている最中だったのだから。
インドネシアサッカーの悲劇は支援を行う日本の警察のメンツをつぶしてしまった、とも言えるかもしれない。