うまくなるためにやったこと ― ウィール・クーバーのビデオ
『ウィール・クーバーの攻撃サッカー』というビデオ(VHS)の存在を知ったのは高校2年の冬のことだ。
私のサッカー人生のターニング・ポイントともいえる、思い出深いビデオである。
内容は、オランダの元サッカー選手ウィール・クーバー氏が考案したサッカー技術(フェイントなどの足技)を磨くための練習方法が収録されている。ボールがあれば一人でもできる練習だ。
ビデオの詳細は、他の記事にまとめたので割愛する(“夢中”で練習した『ウィール・クーバーの攻撃サッカー』というビデオを参照)。ここでは「クーバーのビデオ」の思い出を語りたい。
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高2の冬、私は「クーバーのビデオ」の練習に没頭した。
それには理由があった。サッカーの上達に行き詰まっていたからだ。
当時、サッカー部での私の序列はというと、レギュラー争いをするレベルではなかった。上からA、B、Cと分けるなら、Cチームだ。それが高校2年になると新1年にも抜かれ、主戦場はCチームかDチームになっていた。(人数が増え、Dチームもできた)
そんな中、焦りを感じる出来事が起きた。
私が通う札幌市の高校のサッカー部は、毎年春休み(3月)に「静岡遠征」を行っていた。静岡県の伊豆で開催されるサッカーフェスティバルに参加するためだ。大会には、地元の高校や関東、中部、北陸など周辺地域の高校などが集まった。
北海道からはるばる大型バスを手配して遠征する。苫小牧でバスごとフェリーに乗船し、海を渡って青森県へ。青森からは高速道路をひたすら下り、静岡を目指した。
春休みなので、1・2年生の2学年だけが参加する。親の経済的負担をよそに、無邪気な高校生にとっては楽しみなイベントでもあった。
私が高1のときは、部員全員が遠征に参加できた。だが、高2になると部員数が増え、1台のバスに全員が乗り切らない可能性が出てきた。すると「静岡遠征に行けないメンバーが出るかもしれない」ということになった。
私は、自分が遠征参加メンバーの「当落選上」にいることを自覚していた。「このままでは行けないかもしれない…」と焦りを感じた。
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「何かを変えていかないと…」。そう思っていたときだ。
サッカー部の同学年で、同じくC、Dチームを行き来していたY君(愛称:ヤンベ)が「クーバーのビデオ」のことを教えてくれた。ヤンベはそのビデオを持っていて、空のビデオテープを持ってくればダビングしてくれるという。私はすぐに頼んだ。
ビデオを見て、練習をやり込めば、確実に上手くなるのか。そんなことは分からなかったが、さっそく取りかかった。プレーの変化を強く求めていたし、藁にもすがる思いだった。
グラウンドが雪で覆われるまでは、部活の練習後にひたすら居残りで「クーバーの練習」をやった。
街が根雪になると、外で練習ができないので困った。だが幸い、当時住んでいた自宅マンションの地下が入居者用の物置きスペースになっていて、幅2メートルほどの短い廊下があった。私は時間をつくっては、そこで練習を繰り返した。
冬の部活動は週1、2回の体育館練習でしかボールを蹴られない。それ以外は教室や廊下、階段を使ったフィジカルのトレーニングばかりだ。
なので、この間に「クーバーの練習」の効果を実感することはなかった。それでも、マンションの地下で練習を続けるしかなかった。
そして、3月。上手くなっている気はしなかったが、私の焦りは杞憂に終わった。結果的に静岡遠征に行けることになった。
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雪国に住む私たちにって、静岡遠征は数ヶ月ぶりに存分にサッカーができる機会だった。
レギュラー組はフェスティバルに出場。試合に出られないメンバーには大会日程が終わったあとに即席で練習試合が組まれた。
もちろん私が出場するのは後者だが、ついにここで「クーバーのビデオ」の効果を実感した。
いまも忘れない、日大三島高校との練習試合でのことだ。
ペナルティーエリア付近でドリブルすると、相手DFが寄せてきた。私は無意識かつ反射的に右足でボールを2度またいだ。直後、左足で切り返し、相手をかわして右足でシュートを打った。得点にはならなかったが、フェイントからシュートまでの流れがスムーズすぎた。
補足して説明すると、もともと私はテクニックを駆使するタイプではなかった。ドリブラーでもなかった。そんな私が“ジャブ”を打つようにボールを2度またぎ、相手の不意をついてとっさに切り返し、かわしてシュートを打てたのだ。
見違えるようなプレーの変化。自分でも驚いた。
試合後、外から見ていたレギュラー組のM君が「監督がおまえのドリブルいいなあ、って言ってたぞ」と教えてくれた。監督も変化に気づいてくれていた。嬉しかった。
◇
伊豆でのフェスティバルが終了したあと、遠征バスは青森県に数日立ち寄った。県内の自衛隊チームや高校と練習試合を行い、それから札幌へ帰る。
その青森でのことだ。さらに「クーバー」の効果を確信する出来事があった。
練習試合中、左サイドでボールを受けた私はドリブルで一人を抜いた。直後、慌ててカバーに来たもう一人も、とっさに逆をついてかわした。スルスルっと2人抜きをやってのけたのだ。
「クーバーのビデオ」のねらいは、細かいボールタッチの練習を反復することで、体に叩き込ませることにある。だから、相手DFに急に寄せられても細かいタッチでとっさに逆をとってかわせたことは、まぎれもなく効果の表れだった。
試合後、今度は監督が直接声をかけてくれた。「おまえ、ドリブルがよくなっているなあ」
「ビデオの効果、出てるぞ!」。 私は確信した。
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以来、私のプレーは劇的に変わった。
反復練習した“ビデオの技”が、様々な局面で無意識かつ反射的に出る。自信がついたことで、ボールを取られにくくなった。
上達した実感があり、成功体験が嬉しい。となると、「クーバーの練習」に取り組む意識がいっそう高まり、これまで以上に頑張る。
気持ちの好循環に入った私は、サッカーがどんどん楽しくなっていった。
高3のインターハイ地区予選前だ。
定期テスト前になると、校内すべての部活動が無条件で活動停止になる。だが、試合が近い部活の場合、特例で一部の生徒のみが練習を許された。
インターハイ予選を間近に控え、サッカー部はその対象となった。ただ、特例が許されるのは20数人。紅白戦ができるぐらいの人数だ。
私はそのメンバーにギリギリ選ばれた。
試合出場には程遠い立場だが、長くC、Dチームを主戦場としてきた私にとって積み重ねた努力が結ばれた瞬間だった。Bチームに入りかけたのだ。
しかし、チームは地区予選で敗れ、部活引退。
気持ちもプレーも上り調子で「ここから」って感じだっただけに、とても残念だった。もう少し高校サッカーを続けたかった…。
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高校サッカー後も、私が「クーバーの練習」を続けてきたことは言うまでもない。
大学時代も、そのあとも、そして今も。大学時代は、私のことを「“テクニック”のきーやん(当時のあだ名)」と呼ぶ友人がいたぐらいだ。
冒頭で「ターニング・ポイント」と言ったが、このビデオとの出会いは大きい。
おかげでサッカーが数倍に楽しくなったし、プレーの幅も広がった。できなかった技術が身につく喜びはサッカーへの向上心、探究心をふくらませた。何より、努力しだいでいくらでも上達できることを学んだ。
「クーバーのビデオ」は間違いなく、オッサンになっても止められないほどサッカーが好きになった要因の一つだ。「うまくなるためにやったこと」シリーズの中で最大の効果をもたらしている。
高2の冬、あのときビデオをダビングしてくれたヤンベには感謝しかない。ヤンベ、ありがとう!