高卒プロ4年目でJリーグ初出場。小川優介という選手の話

 Jリーグ30周年でクラブ数は60にまで増えたが、「プロ選手」をかけた競争は日本サッカーの向上とともに激しくなっていると感じる。

 毎年、誰かが新加入し、誰かが移籍、引退する。特定の選手を追っていると、厳しい世界だとつくづく思う。

 今年3月、小川優介という選手がJリーグ初出場をはたした。

 プロ4年目。この4月で22歳になる。昨季まで鹿島アントラーズに3シーズン在籍し、今季からJ3のFC琉球に完全移籍で加入した選手だ。

 彼のことは、高校サッカー選手権大会で知った。

 埼玉県の昌平高校出身。鹿島のスカウトの目に止まり、入団内定。卒業後の2021年に同じ昌平高校サッカー部の須藤直輝選手と一緒に鹿島入りした。

 身長166センチ、体重58キロと小柄だ。小柄でもマラドーナみたいな「分厚い」タイプはいるが、彼は細い。小柄なうえに童顔で、少年のような顔つきが印象的だ。

 そんな見た目だが、プレーは非凡なセンスが光った。

 ボランチの位置で起点となり、攻撃を組み立てる。少ないタッチで簡単にプレーし、リズムをつくる。ゲームコントロールに長けていた。好機となればドリブルし、自らシュートも打つ。高校3年時の選手権全国大会では得点も決めた。

 高卒でプロ入りする選手は毎年数人いるが、「超高校級」と呼ばれるほどではなかった。ユース年代の日本代表歴もない。

 それでも、数々の名選手を育ててきた鹿島の強化スタッフが目をつけたのだから、間違いないのだろう。「柴崎岳っぽさ」があった。

 ただ、この小柄できゃしゃな見た目。「Jリーグでやれるのかなあ」と率直に思った。名門鹿島のレギュラー競争は熾烈だ。

 きっと時間をかけて育てる計画なんだろう。そう思っていた。鹿島の育成は定評がある。

 しかし、当時の鹿島は低迷期。2017年から現在に至り、国内主要タイトルの無冠が続く。つまり、小川選手が加入したときも「トンネル」の中だった。

 ACLの試合がなく、公式戦のターンオーバーもそこまで必要ない。即戦力ではない新人を「試す」機会は少なかったはず。また、「常勝」を掲げるクラブを率いる監督の重圧を考えても、そんな余裕はなかったと推察する。

 となれば、たいがいの若手選手はJ2、J3のクラブに「育成型期限付き」でレンタルされることが多い。前出の須藤選手は2022年シーズンを当時J2のツエーゲン金沢で過ごし、リーグ15試合に出場した。

 ところが、加入から3年間、小川選手が育成型期限付きで他クラブへ移籍することはなかった。オファーがなかっただけなのか。あったが断り、クラブで育てる方針だったのか。内情は分からない。

 ようやく訪れたプロデビューは2022年6月1日。新潟医療福祉大学を相手に勝利した天皇杯2回戦に85分から出場した。

 クラブの広報はマッチレポートの中で、「小川にとって、これが嬉しいプロデビューとなった」と報じ、笑顔でピースサインをする本人の写真も掲載した。

 だが、3年間で出場した公式戦はこれが唯一だった。

 「サッカー選手は試合に出てナンボ」とよく言われる。とくに伸び盛りの若手の成長に最も必要なのは「緊張感のある公式戦」の経験だ。

 そう考えると、結果的に小川選手は試合出場の機会に恵まれなかったと言える。3年間の苦悩、葛藤は想像に難くない。運、タイミング、監督とのめぐり合わせ。プロサッカー選手が名をはせるには実力、努力のほかにも必要な要素がきっとある。

 FC琉球への移籍は本人の意思か。それともクラブの判断か。いずれにせよ、鹿島はじくじたる思いで彼を見送ったのかもしれない。

 Jリーグ初出場から3日後、小川選手はJ3第5節で初スタメンを飾った。

 カテゴリーは違うが、3年で一度も立てなかったJリーグのピッチを続けて踏んだ。プロサッカー選手としての喜びを実感していることだろう。

 とはいえ、生き馬の目を抜くようなプロの世界だ。結果がすべて。高いパフォーマンスを続けなければ、すぐに居場所はなくなる。

 「柴崎岳っぽさ」があると伝えたが、感情をあまり表に出さず、淡々とプレーするタイプ。本人によると、FC琉球の金鍾成監督からは「もっとハングリーに行け!」と言われているという。

 長所と短所は隣り合わせだ。目をかけてくれた鹿島を離れたいま、プロサッカー選手としての将来像をどう描き、成長していくのか。

 小川選手にとって正念場のシーズンであり、ここからが本当の勝負なのかもしれない。

by 北 コウタ
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