元日本代表FW鈴木隆行のブラジル時代の話が面白すぎた!
元日本代表FWの鈴木隆行が自らのサッカー人生を振り返った話が面白すぎた。
同じく鈴木姓で元日本代表MFの鈴木啓太のYouTubeチャンネルに出演したときの話だ。
鈴木隆行といえば、かつて鹿島アントラーズでクラブ史上初の三冠達成に貢献した点取り屋。日韓ワールドカップ2002では日本サッカー史上初の「勝点1」獲得につながるゴールを決めた。
得点を取るだけでなく、献身的にプレスバックして守備も頑張る“がむしゃら系”のプレースタイル。現代サッカーでは当たり前となったFW像を先取りしていた。
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YouTubeが普及し、一線を退いた元プロサッカー選手たちが過去の思い出を語る機会が増えた。「あの時代」「あの頃」「あの試合」「あの時」の裏話だ。
厳しいプロの世界を生き抜くため、心身をすり減らし戦ってきたはずだ。だが、プライドが高めのプロ選手は現役中は弱みを見せないし、弱音も吐かない。
引退したいまだからこそ、面白おかしく話せるわけだが、鈴木隆行の場合、自身の情けない話をけっこう赤裸々に語ってくれた。そこがよかったのかもしれない。面白すぎた。
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中でも最高に面白かったのが、彼が20代の若いころに過ごしたブラジルでの武者修行の話だ。鈴木は通算2度、ブラジル移籍を経験している。
1度目は20歳のころ。半年間の予定で同じ鹿島の阿部敏之と一緒に当時リオデジャネイロ州3部に所属するCFZ・ド・リオというクラブにレンタル移籍した。あのジーコが創設したクラブだ。
サッカーしか知らない社会経験のない20歳の青年が初めて海外生活をする。ブラジル語は話せない。食生活も違う。そして、でこぼこのグラウンドなどサッカー環境は劣悪だ。
「地獄だった」「いま考えても、人生の中で一番きつかった」と振り返るほど、不安を抱えながら毎日過ごしたという。
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半年が経ち、帰国できる思っていたが、大会運営の不備によりリーグ戦が長引くことになったという。
ブラジルにもう少し残るか、帰国するか。ジーコとの面談があり、鈴木は回答を迫られた。
日本にすぐにでも帰りたい気持ちはあるものの、「残ります」とジーコに伝えた。何事もやり通さないと気が済まない性格なのだという。そして、直後に面談を控える阿部敏之に対し「おれは残ります、って言ったよ」と伝えた。
すると、面談を終えた阿部から予想だにしない言葉が返ってきた。
「おれは帰ります、って言ったよ」。阿部は帰国の意思を伝えたのだ。
その瞬間から、鈴木は「ノイローゼ気味になった」という。
「おれはなんで帰るって言わなかったんだろうーーーー!!!」と後悔の念がこみ上げ、絶望したと明かした。
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ブラジルに一人残り、ノイローゼ気味の中でサッカーを続けなければならない。その後、鈴木が絶望の淵で過ごした暗黒のブラジル生活の話がとにかく爆笑だった。
海岸沿いで号泣した話や試合会場へスーツケースを持ち込んだ話など。ありのままに感情を込めて力説するそのトークが面白すぎ!
詳しくは伝えないので、ぜひYouTubeを見てほしいー。
地獄の生活だったにもかかわらず、その数年後、鈴木は再び武者修行のためブラジルへ旅立つ。しかも2度目は自ら志願し、周囲の反対を押し切るかたちで…。
それなのに、再びブラジルの地を踏んだところで目が覚め、「おれ、なんてことしちゃったんだろうーー!!」と後悔する。
「あんなに嫌だった場所にまた来て、何カ月も日本に帰れない…」と冷静に考えたとたん、恐怖で体がブルブル震えたという。爆笑のオチ。
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プレースタイルからけっこう強いメンタルの持ち主だと思っていたが、意外にもそうではなかった。鹿島入団時も、代表初招集時も、つねに自信がなかったという。不安や逃げ出したい気持ちを抑えながら、自らを鼓舞してきたようだ。
それでも、結局のところ彼は逃げない。決断や選択に後悔はしても、「一度決めたらやり通す」。この性格がポイント。
初志貫徹の精神は「子どものころからの約束事」のよなものだと話す。たとえ「もうダメだ。やめたい…」と心が揺れたとしても、「それ(自分で決めたこと)を破ったら、おれの人生終わり」と思い直し、続けてきたという。「もともと根性があるほう」とも話した。
つまり、メンタルは強いほうではないが、信念は強い。そして、頑固。という感じ。
人生において、道が分かれたら「困難なほうを行け」なんてよく言うが、彼のように心が折れそうになりながらもやり通そうとするタイプは、困難な道を行けば行くほど成長できるのかもしれない。
だから最終的に日本代表にまで上り詰め、ワールドカップで得点することができたのだろう。
(敬称略)