海外サッカー

「目立たなくても、必要とされる」 長谷部誠が示した海外サッカーで生き残る術

ドイツでの長谷部誠の引退会見
現地での引退発表会見は本人の意思により全てドイツ語で行われた。2024年4月(source: en.eintracht.de

言語、文化を覚えドイツで16年余 「海外組」の新モデル

 W杯3大会連続で日本代表主将を務め、ドイツ・ブンデスリーガ通算384試合出場という金字塔を打ち立てた長谷部誠が、今季を終えてプロサッカー選手を引退した。

 2008年1月に24歳で渡独して16年余り。一貫してドイツに留まり、3クラブでプレー。その中でドイツ語を覚え、ドイツ文化に溶け込み、もはや半分はドイツ人のような長谷部。

 海外でプレーした日本人プロサッカー選手の中でも、彼のようなキャリアは例になく、まさに「海外組」の新しいモデル。同じ国で時間と経験を積み重ねたからこそたどり着いた境地だ。

 現在40歳。パイオニア精神は消えず、ここからドイツで監督を目指すという。あえて「未開の地」を行く長谷部の「終わりなき旅」。今後も注目だ。

Jリーグ時代は攻撃的なプレースタイルが売りだったが

 長谷部を高卒ルーキーのころから見てきたという私のような中高年世代であれば、Jリーグ時代の彼のプレースタイルが違っていたことを知っている。

 Jリーガーのころは攻撃的なMFという印象だった。ボランチもやったが、前線で得点に絡むプレーが記憶に残る。アグレッシブなドリブルで自らゴールを奪ったことも。初の代表招集もそんな特性を買われてのことだったはず。

 ドイツ移籍後、最初にプレーしたVfLヴォルフスブルクでは右MFや右サイドバックを任された。リーグ制覇を経験したが、ボランチでの出場を希望して1.FCニュルンベルクへ。だが、1シーズンで2部降格が決まり、アイントラハト・フランクフルトへ移籍。現役引退まで10シーズンを過ごした。

 攻撃的な選手という位置づけはヴォルフスブルクにいたころまでか。とりわけ、フランクフルトでリベロに抜擢されてからは、もう「守備的な選手」という印象だ。Jリーグ時代の派手さのあるプレーは懐かしいものになった。

『心を整える。』に記されるドイツ移籍当初の心境の変化

 なぜ、ドイツで40歳までプレーできたのか――。

 長谷部に関するそんなテーマの記事がこれまでいくつもあったが、それはプレースタイルの変化に通じている。その答えは、ベストセラーとなった彼の著書『心を整える。』に記されている。

 「組織の穴を埋める。」と題した項の中で、長谷部は海外サッカーで生き残るための自らのストロングポイントは「組織の足りないものを補う」ことだと示す。

ヴォルフスブルク時代の長谷部誠
ヴォルフスブルク時代の長谷部誠(source: bundesliga.com

 回顧するのはきっかけとなったエピソードだ。

 ヴォルフスブルク移籍当初、長谷部はあることに気がついた。チームメイトはエゴが強く、「自分が点を取る」という意識の選手ばかり。一方で守備意識が低く、バランスを崩して安易に失点するシーンが目立った。

 チームの弱点に気づいた長谷部は、“バランスを最優先にしたプレー”を心がけるようになったという。中盤の選手が駆け上がっても、自らは留まり、カウンターに備える。疲れて動きが落ちた選手がいれば、彼の分までカバーして走った。

 心境の変化には、サッカー選手として突出した「武器」が無いことへの自覚もあったようだ。海を渡り、Jリーグとのレベルの差を痛感したのかもしれない。

 試合に出たい、海外サッカーで生き残りたい。そのためには何をすべきか。長谷部が見い出した答えは、「目立たなくても、必要とされる選手」になることだった。ヴォルフスブルクが日本人を獲得したねらいもそこにある。そう考えたという。

「組織」優先のプレーに変更 ドイツで高い評価、地位築く

 ただ、誤解の無いよう長谷部はこう補足している。

 決して自分らしさを消して、我慢してプレーしたわけではないと。「自分を殺した」のではなく、「自分を変えた」のだと。

 「組織の成功」のためにプレーを変えることは、「自分のプレーを殺した」ことにはならない。というのが、長谷部なりのサッカー哲学だ。

 目立たなくても、必要とされる選手になる――。

 プロサッカー選手なら、誰もが自分の「強み」で勝負したいと考える。自己主張が苦手と言われる日本人は、その上で人一倍エゴや欲を出して、強みをアピールしてナンボだろう。

 長谷部もきっとJリーグでの活躍を胸にドイツへ渡ったはず。

 ところが、わりと早い段階で海外サッカーで勝負するポイントを変更した。生き残る術として選んだのは、エゴを出さず、「組織の成功」を優先するプレー。葛藤はあったはずだ。

 それでも、決断は結果として実を結んだ。献身性や「バランサー」としての能力を高く評価され、ドイツサッカーで確固たる地位を築いた。「チームを支える」印象が付いたからこそ、日本代表でも自分の意に反してW杯直前に主将を任され、長く腕章をまいたのだろう。

日本人の「献身性」は武器 長谷部、岡崎のキャリアが証明

 日本人は、子どものころから集団スポーツの意義やチームプレーの精神を植えつけられて育つと感じる。比較的エゴが強い選手も、最低限の献身性や犠牲心がある。そんな国民性ではないだろうか。

 だから、自己主張が足りないのかもしれない。ワガママになりきれないのかもしれない。しかし、それが海外選手には無い良さ。評価に値する、日本人選手のストロングポイントともいえる。

 長谷部と同じく、元日本代表FWの岡崎慎司も今季をもってユニフォームを脱いだ。

 彼もまた献身的なプレーが評価された選手。イングランドのレスター・シティ時代にプレミアリーグ制覇を経験。得点を量産したわけではないが、常に前線でハードワークを繰り返し、チームを支えた。ドイツ、イングランド、スペイン、ベルギーと欧州を渡り歩き、38歳までプレー。クラブに必要とされ続けた選手だ。

 海外移籍する日本人選手の多くは、足りないエゴや自己主張を自覚し、強みを出すことにこだわる。しかし、日本人が持つ献身性、チームプレーの精神がおのずと海外選手との違いを見い出す武器になることも自覚したい。長谷部や岡崎の長い欧州キャリアがそれを十分に証明している。

(了)

by 北 コウタ
LINEで送る
Pocket