カルチャー

日本サッカー幕開けの歴史とJFA創立100周年(1/2)

東京・文京区本郷にある日本サッカー協会(2021年現在)

 6月の強化試合、日本代表やU-24代表は鮮やかなサックスブルーの復刻版ユニフォームを着てプレーした。日本サッカー協会(JFA)の創立100周年を記念してつくられたものだ。

 日本サッカー協会は1921(大正10)年9月10日に「大日本蹴球協會」として発足した。協会の歴史はそこから始まったが、日本にサッカーが伝わったのはそれよりもう少し前のこと。サッカーの母国イギリスとのつながりがあった。日本のサッカー幕開けの歴史の流れをたどる。(全2回―1/2)

幕末の開港でイギリス人が来日。フットボールが伝わった

 フットボール伝来のきっかけは江戸幕府末期の開国だ。日本は1854年にアメリカと日米和親条約を結ぶと、同年にイギリス、ロシアとも同様の条約を締結。外国人の受け入れを決めた。1858年には修好通商条約をアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスと相次いで結び、長崎、箱館(函館)、神奈川の「横浜村」で港を開いた。

 この横浜村にある外国人居留地(現・横浜市中区)でイギリスの軍人がフットボールを楽しんだのが始まりとされる。『日本サッカー史―日本代表の90年』(後藤健生著)によると、1866年1月27日付けの『Japan Time’s Daily Advertiser』紙に「横浜フットボールクラブ創立集会」の記事が掲載された。日本初のフットボールに関する記事で、少なくともこのクラブが設立される以前にフットボールは行われていたと著者は指摘する。

 1866年といえば、徳川慶喜が江戸幕府第15代将軍に就く年だ。翌1867年には大政奉還を迎える。国内では攘夷(じょうい:外敵を撃退するという意)運動が盛んだったが、居留地のイギリス人はフットボールのほかにも、競馬やボートレース、クリケットなどのリクリエーションに力を入れていたというから驚きだ。アヘン戦争によってイギリスの植民地となった香港でいち早くフットボールが盛んになったのも同様の理由である。

■当時のフットボールは手も使えた?

 ここで強調したいのはサッカーではなく、「フットボール」と表記したこと。イギリスで生まれたフットボールは、1863年に「アソシエーション式フットボール」(のちのサッカー)と「ラグビー式フットボール」に分かれ、同年にアソシエーション式の統一ルールが作られた。しかし、当初はラグビー式と大きな違いはなかったという。状況によっては手でキャッチできるルールだった。

 よって当時のフットボールはいまの「サッカー」とはスタイルが違う。両者のルールに違いが出てくるのは1870年代に入ってからになる。

 こうして開国を経て、「フットボール」は日本に伝わった。だが、プレーをしていたのは外国人。日本人がプレーするのはもう少し先のことで、明治時代に入ってからになる。

高等師範学校の「蹴球部」から全国各地に広がった

 明治新政府はイギリスに習って海軍の増強を図った。1870年代に入ると、イギリス軍の高官が来日し、日本海軍兵の訓練を担うことに。そこで初めて「体育教育」が取り入れられ、フットボールが教えられたという。一方、東京大学工学部の前身である「工部省工学寮」でも、測量技師のスコットランド人がフットボールを教えたという記録が残る。

 いずれも1870年代半ばのことで、これがフットボールをプレーした日本人の先駆けとされる。だが、ここから全国に広がったわけではない。では、全国的な広がりはどのように起きたのか? 大きな役割を担ったのが「高等師範学校」だった。

by KEGEN PRESS編集部
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