カルチャー

訪れてみたい、“サッカー侍”が戦った街 ― マンチェスター(イギリス)

マンチェスターの街並み
産業革命時代の面影が残るマンチェスターの街並み(source: Unsplash)
 日本サッカーの成長とともに、いまや日本人選手の海外移籍は後をたたない。それはヨーロッパのみならず、世界各国に及んでいる。そんな“サッカー侍”たちが、かつて戦った街がある。いま戦っている街がある。それだけで、「いつか訪れてみたい…」。そう思わせる魅力がある。

名門マンチェスター・ユナイテッドに移籍、香川真司が渡った

マンチェスター・ユナイテッド時代の香川真司
マンチェスター・ユナイテッド時代の香川真司(source: the-afc.com

 イギリス中部にあるマンチェスター。かつて日本代表で10番を背負った香川真司が、イングランド・プレミアリーグの名門マンチェスター・ユナイテッドの一員として戦った街だ。ドイツでブレイク中だった香川は、名将サー・アレックス・ファーガソンの熱烈なラブコールを受けて2012年6月に電撃移籍。2シーズン余りを過ごした。

 ルーキーイヤーの香川は、アジア出身選手初となるプレミアリーグでのハットトリックを達成するなど、2季ぶりとなるリーグ制覇に貢献した。だが、高齢のファーガソンが勇退すると、2年目は後任監督の起用法なども影響し出場時間が減少。プロ生活初のシーズン無得点に終わるなど満足のいく結果を出せなかった。

 2014年8月、香川は古巣のドルトムントに戻った。それでも、歴史と伝統を誇る「レッド・デビルズ(赤い悪魔)」(クラブの愛称)のユニフォームに袖を通した香川が、ライアン・ギグスやウェイン・ルーニーら一流選手と共演する姿に心を踊らせたあの時間は忘れない。 

「産業革命」発祥の地綿工業の街として栄え、世界の工場に

イギリス地図
マンチェスターは赤い★の地点

 マンチェスターはロンドンから列車で約2時間ほど。イングランド地方の北西部に位置する。市域内人口約55万人はイギリスで6番目だが、近郊を含む都市圏「グレーター・マンチェスター」(人口約260万人)は、ロンドンに次ぐ国内第2の都市として位置づけられている。(2018年の統計)

 その歴史は1世紀ごろ、ケルト人が住むこの地にローマ帝国が城塞を築いたことに始まる。

 砂岩の絶壁を生かしてつくられた古代ローマの砦は「マムキアム(Mamuciam)」(「乳房のような丘」の意味)と呼ばれた。マンチェスター(Manchester)の地名の由来は、この「マムキアム(Mamuciam)」と軍事防衛拠点を意味する「カストラ(castra)」を合わせたものだ。

 14世紀、フランドル地方から織物職人が移住すると毛織物産業が盛んになった。17世紀には綿織物工業が発達した。

 劇的な変化をとげたのは18世紀後半。1785年、紡績機に蒸気機関が導入されると、大量生産が可能となり「産業革命」が起こった。綿工業の一大産地となり、1830年に貿易港リバプールとの間に世界初の鉄道が開通すると、綿織物は世界に輸出された。「コットノポリス(Cottonopolis)」(綿の都市)と呼ばれたマンチェスターは「世界の工場」として繁栄し、最盛期を迎えた。

 しかし、第二次世界大戦後は「英国病」の影響も重なり、繊維産業は衰退。1980年代には多くの工場が閉鎖された。その後のマンチェスターは都市再生策を経て産業構造を大きく変え、近年は金融機関やメディア企業、学術機関、研究所などが集まる都市として息を吹き返している。

レンガ造りの工場、倉庫を再利用。当時の面影が残る街並み

オフィスとして再利用されたマンチェスターの繊維倉庫
産業革命時代の繊維倉庫。現在はオフィスとして再利用されている(source: Stephen Richards,CC BY-SA 2.0,via Wikimedia Commons)

 マンチェスターの魅力は、産業革命時代の面影が残る街の雰囲気だろう。

 繊維産業で使われたレンガ造りの工場や倉庫が数多く残り、オフィスやホテルなどの商業施設に再利用されている。物資の運搬を担った運河もいたる所で見られ、レンガの赤茶色が混ざった街並みが歴史を感じさせる。

 そんな街のシンボルは、1877年に建てられたマンチェスター市庁舎(Manchester Town Hall)だ。ヴィクトリア朝時代のネオゴシック建築の傑作と言われ、格調高い雰囲気で存在感を示している。高さ87メートルの鋭利な鐘楼が特徴的で、映画のロケ地としても有名だ。市庁舎前に広がるアルバート広場では、サッカーの優勝パレードや野外コンサートなどが催される。

マンチェスター市庁舎
街のシンボル、マンチェスター市庁舎(source: Mark Andrew,CC-BY 2.0,via Wikimedia Commons)

 産業革命の歴史を学ぶなら、科学産業博物館を訪れたい。

 紡績機や蒸気機関など近代化の遺産が多く展示され見ごたえがある。中でも目玉は、1830年に開通した世界初の鉄道で使われた線路や駅舎。というのも、この博物館こそが、当時のマンチェスター・リバプール鉄道のマンチェスター側の終着駅「リバプール・ロード駅」なのだ。世界最古の駅舎が博物館として再利用されている。

旧リバプールロード駅
科学産業博物館の一部として公開されているリバプール・ロード駅 (source: Nigel Thompson,CC BY-SA 2.0,via Wikimedia Commons)

労働者階級の“魂”が宿る「音楽の街」。ザ・スミス、オアシスなど輩出

 マンチェスターは「音楽の街」としても知られる。お隣のリバプールがビートルズを生んだことは有名だが、マンチェスターもまた、ニュー・オーダー(New Order)やザ・スミス(The Smiths)、そしてオアシス(Oasis)など数多くの音楽バンドを輩出した。

サルフォード・ラッズ・クラブ
サルフォード・ラッズ・クラブ (Salford Lads Club)は、ザ・スミスが入り口の前で撮った写真がアルバムカバーに使用され有名に。マッドチェスターの聖地となっている(source: Rept0n1x,CC-BY-SA 2.0,via Wikimedia Commons )

 なぜ、音楽が盛んなのか。それは、この街が持つ独立心や労働者階級特有の気質などが関係していると言われる。

 産業革命時代、都市の工業化で労働者人口が増加したマンチェスターでは、労働組合運動が活発に行われた歴史がある。また、近代的な協同組合が世界で初めて作られたのは市郊外にあるロッチデールという町だ。

 そして戦後、綿工業が衰退した街には失業者があふれた。逆境から抜け出そうとする市民のハングリー精神やインディー精神がエネルギーとなって、音楽に表れたという声も少なくない。

 1980年代後半から90年代初めには、「マッドチェスター(Madchester)」(狂ったという意味の「マッド(Mad)」とマンチェスターをかけた造語)という音楽ジャンルを生み出すきっかけとなるムーブメントが起こった。

 つまり、労働者階級の“魂”が宿るマンチェスターは、音楽文化が根付きやすい土地柄だということだ。

マンチェスター市街の働き蜂
ゴミ箱やプランターに描かれた「働き蜂」

 マンチェスターの街中を歩くと、電柱やゴミ箱、プランターなどあちこちに「働き蜂(Worker bee)」が描かれている。

 働き蜂は、ビクトリア朝時代から続く労働者階級の街マンチェスターの象徴であり、市の紋章にもデザインされている。市民の誇りだという。

by KEGEN PRESS編集部
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