カルチャー

訪れてみたい、“サッカー侍”が戦った街 ― フェンロー(オランダ)

フェンロー市庁舎
市庁舎は街のシンボル。フェンロー市民の憩いの場だ。(source: holland.com)
 日本サッカーの成長とともに、いまや日本人選手の海外移籍は後をたたない。それはヨーロッパのみならず、世界各国に及んでいる。そんな“サッカー侍”たちが、かつて戦った街がある。いま戦っている街がある。それだけで、「いつか訪れてみたい…」。そう思わせる魅力がある。

市民をとりこにした本田圭佑が「英雄」になった街

 オランダ南東部リンブルフ州にあるフェンロー。人口約10万人の小都市だが、本田圭佑がその存在を日本中に知らしめた街だ。

 2005年に名古屋グランパスエイトに入団した本田は、クラブ史上4人目となる高卒ルーキーでJリーグ開幕戦に出場。頭角を現すと、2008年1月にオランダ1部リーグのVVVフェンローへ移籍した。

2部優勝し、シャーレを掲げるVVVフェンロー時代の本田圭佑
2部リーグで優勝し、市庁舎でシャーレを掲げるVVVフェンロー時代の本田圭佑(source: @vvv-venlo on twitter)

 しかし、すぐにはチームにフィットできず、クラブは2部リーグに降格。チャンスでもシュートを打たない本田のプレーに不満をもらすチームメートもいた。

 本田は力不足を痛感。「これではダメだ」と意識改革を図った。「ゴールに向かわない消極的なプレースタイルを完全に否定することから始めた」と、当時を振り返る。

 “世界のケイスケ・ホンダ”に激変していくのはここからだった。

 迎えた2008年-09年シーズン。主将に指名された本田はブロークンな英語でチームをまとめ上げ、2部優勝と1部復帰へと導く。自身は36試合16得点、11アシストと大爆発。MVPに選ばれ、フェンロー市民をとりこにした。「ホンダ!」コールが鳴りやまない中、市庁舎前に集まった大観衆の前でシャーレを掲げた本田は、街の「英雄」になった。

 2010年1月、本田はロシアのCSKAモスクワへ移籍。クラブが手にした移籍金はおよそ8億円と言われる。街を離れても、本田のユニフォームは売れ続けたという。フェンローにはその後、吉田麻也、大津祐樹ら4人の日本人選手がプレー。日本とのつながりが深い街になった。

ドイツとの国境付近に位置 第二次世界大戦で戦禍をこうむった

オランダの地図
フェンローは赤い★の地点

 フェンローはマース川の上流に位置する。川はフランス、ベルギー、オランダを流れて北海に注ぐため、古くから海上交通の要地として栄えた。

 9世紀の文書にすでに「交易地」と記され、14世紀には「ハンザ同盟」のメンバーになった。繁栄を裏づける証拠だ。

 一方、ドイツとの国境に近いため、第二次世界大戦では争いに巻き込まれた。ナチス・ドイツがオランダ侵攻の足がかりとした「フェンロー事件」の舞台として知られる。

 フェンロー事件は1939年11月9日に起こった。イギリス軍の諜報員2人がフェンローの街でドイツ軍に捕えられたのだ。ドイツはこれを理由に、当時中立国だったオランダへの侵攻を正当化。翌年5月、侵攻に踏み切った。

フェンローの街並みとマース川
フェンローの街並みとマース川(source: venloonline.nl)

 その後、大戦末期には連合国軍の爆撃により、街は大きな打撃を受けた。

 爆撃はマース川に架かる鉄橋や道路の爆破が目的で、ドイツ軍の退路を断つための戦略的なものだったが、市民1000人超が犠牲になったという。歴史的建造物の多くも破壊された。

 現在のフェンローの街並みは、戦後の復興により築かれたものである。

デュッセルドルフから近く、日曜日はドイツ人が多い

 街の中心にある市庁舎は、第二次世界大戦の戦火を免れたシンボル的存在だ。人気スポットであり、結婚式を挙げるカップルも多いという。市庁舎前の広場にはカフェやレストランのテラス席が多く並び、市民の憩いの場となっている。

フェンローのVleesstraat通り
Vleesstraatは最も古い通りの一つ。市庁舎を経由し南北を結ぶ(source: venloverwelkomt.nl)

 フェンローは首都アムステルダムから電車で約2時間の距離だが、お隣りドイツのデュッセルドルフからはおよそ50分とより近い。そのため、街には頻繁にドイツ人が訪れる。

 とりわけ、多いのが日曜日。ドイツには「閉店法」と呼ばれる法律があり、店が軒並み閉まるからだ。日曜日のフェンローはドイツナンバーの車で渋滞が起きるという。

■ 農業大国オランダの重要な「グリーンポート」

 オランダは世界有数の農業大国だが、フェンローはその重要地。国が指定する5つの「グリーンポート」(高度な農業集積地)の一つだ。

 近年、日本でも普及しつつある「フェンロー型温室」(ガラスハウス)の発祥地としても知られ、2012年には「フロリアード」(国際園芸博覧会)が開催された。

オランダ人は揚げ物が好き フェンロー名物の「friet-ei」

オランダのフリッツ
フリッツはオランダの食文化だ (source: David Huang)

 オランダ人は揚げ物を好み、名物も多い。フライドポテトを主食として食べるというから驚きだ。

 フライドポテトは「フリッツ(Frites)」と呼ばれ、専門店があるほど。フェンローにも多いという。

 みじん切りにした玉ねぎをのせ、マヨネーズなど好みのソースかけて食べる。豪快にトッピングされたフリッツを見ると、もう文化としか言いようがない。

friet-ei
フェンロー名物の「friet-ei」(source: Automatiek Piccadilly)

 フェンローが発祥とされる揚げ物がある。「friet-ei」と呼ばれる、ゆで卵を揚げたドーナツのようなものだ。

 1959年に市内のカフェ「Automatiek Piccadilly」を営む夫婦によって編み出された。

 オランダには類似するエッグボールが他の地域にもあるが、カレー風味の「friet-ei」はまねのできない美味しさだという。地元の名物として知られる。

by KEGEN PRESS編集部
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