Jリーグ

プロ23年目の山瀬功治は、「永遠のサッカー小僧」の道産子代表だ!

山瀬功治
道産子の誇り、プロ23年目の山瀬功治。左から札幌時代、日本代表、愛媛時代

40歳の道産子Jリーガー 今季はJ2山口でプレー続行

 40歳の道産子Jリーガー、元日本代表MFの山瀬功治選手が、今季はJ2のレノファ山口FCでプレーすることが決まった。プロ生活23年目になる。

 同郷のサッカー選手は誰でも全力で応援したい。その中でも彼の存在は別格だ。単純にうれしいし、ここまで長く続けていることは、道産子の誇り!

 2000年に地元札幌の北海高校からコンサドーレ札幌(現・北海道コンサドーレ札幌)に入団(当時の監督は岡田武史氏)。その後は、浦和レッズ、横浜F・マリノス、川崎フロンターレ、京都サンガ、アビスパ福岡、愛媛FCと渡り歩いた。この間、日本代表にも選ばれ、10番を背負ったこともある。

 どこへ行っても、全力で、力の限りプレーする。すべてをサッカーに捧げる。その姿勢は私生活にまでおよび、若手選手の手本だ。三浦知良(カズ)選手同様、「心技体」が整った“真のプロフェッショナル”であり続けている。彼を必要とするJクラブが途絶えない最大の理由だろう。

 しかし、昨季。約3年間所属した愛媛FCはJ2からJ3へ降格した。そして、彼は契約満了で退団となった。

 現役続行はできたとしても、Jクラブの中に移籍先はあるのか。J3降格と40歳の年齢を考え、正直、心配した。J2に残留していたなら一定の評価も得られたはずだ、とも感じた。

 だが、それも杞憂に終わり、1月7日にレノファ山口が獲得を発表! 「引退も覚悟した」というが、彼を必要とするJクラブはやっぱりまたあらわれた。

 レノファ山口を指揮する名塚善寛監督(元日本代表)は、彼が高卒ルーキーとしてコンサドーレ札幌に入団したときに在籍していた元同僚。地元メディアによると、名塚監督は「力を貸してくれないか」と声をかけたという。2人の関係性も気になった。

小学生の山瀬少年に「目が点」 フェイントを真似した

 そんな山瀬選手を初めて知ったのは、彼がまだ小学生のころだ。

 夕方に放送される北海道のローカル情報番組の中で、いわゆる「天才サッカー少年を発見!」的な内容で紹介されたのをたまたま見た。

 小柄だが、テクニックが「小学生離れ」していた。取材中に得意のドリブルを披露。足裏を使った素早いボールさばきが印象的だった。ボールを左側にわざとさらし、自分の体も左に向ける。相手の注意を左に向けさせたその瞬間、クルッと一気に右側に方向転換して相手を抜き去った。

 当時、高校生だった私は、フェイントを仕掛ける山瀬少年のあまりの素早さに目が点になった。「うめぇー! 札幌にもこんな小学生がいるんだ…」と。

 すぐに部活動でそのフェイントを練習した。真似してみると、簡単に相手をかわせた。ポイントは相手をだますこと。ボールを左にさらした場合、「(逆の)右からは抜いてくるはずがない」と相手に完全に思い込ませる。それができれば、急な方向転換に相手は意表をつかれ、ついてこれなかった。

 相手の裏をかいて、かわす――。サッカーではよくあるプレーだが、大人ではなく、小学生の山瀬少年がいとも簡単に相手をかわすのを見たことで、強い動機づけとなり、意識するようになった。相手をだますことの楽しさを覚えたのは、山瀬少年のおかげかもしれない。

 山瀬少年は小学校卒業と同時にブラジルへサッカー留学に行ったが、それについてもローカル情報番組で見た記憶がある(このとき、彼と一緒にブラジル留学したのが、同じ札幌出身で現在青森山田高校サッカー部で黒田剛監督の右腕としてヘッドコーチを務める正木昌宣さんである)。

 そんな彼が、高校サッカー選手権全国大会の常連校ではない北海高校に進学したのはちょっと意外だったが、卒業後にコンサドーレ札幌に入団(実際は、高校3年時に強化指定選手として登録)。やっぱりプロになった。

 でも、その後日本代表にまで上り詰める選手になるとは、当時は思っていなかったが。

「細胞の一部です」。“燃えたぎる”サッカーへの情熱

 かつてのカズ(今季はJFLに移籍)や中山雅史。いまなら小野伸二や中村俊輔、伊東輝悦ら。40歳を過ぎてもJリーガーを続けられる選手は「永遠のサッカー小僧」ばかり。サッカーへの情熱、探究心、向上心などいずれも常軌を逸している。

 山瀬功治もまたしかり――。

 過去にインタビューで、小学生のころに抱いた感情をこう語っていた。「自分の中ではサッカーをやめるイメージが全くなく、死ぬまで続けていくものという考えしかなかった。だから当然、(プロ)選手になるんだろうと思っていた」

 「死ぬまで続けていたい」。サッカー選手なら誰もが抱く願望だろう。しかし、その願望のために、年を重ねても努力し続けられるか、すべてを捧げられるか。「永遠のサッカー小僧」になれるかどうかは、そこで分かれる。

 以前、彼を献身的に支える料理研究家の妻、理恵子さんの存在を著書とともに紹介したが(Jリーガー支える妻、山瀬功治夫人の視点から知るプロサッカー選手の日常を参照)、そういえば、コラムの中に“燃えたぎる”サッカーへの情熱をうかがい知れる内容があった。

 理恵子さんは夫について、「ごまかしどころか一点の曇りもなく『自分に限界を作らない』といった強い信念を持っている」と記す。だからこそ、ベテランになっても「ひたすらまっすぐ」すぎるその姿勢を見て、「経験を下の世代に伝える」という意識の変化を促したことがあったという。どうしてもっと上手な生き方ができないの、と。

 だが、山瀬選手はこう返したという。「5歳から始めたサッカー。もう細胞の一部です。ピッチで息絶えるなら本望。他の何がどうなってもかまわない。これだけは自分の思った通りにさせてほしい」

 「細胞の一部」と言い切れるほど打ち込んできたという自負心。最大の心の支えになっている大好きなサッカーの存在。そして、信念。理恵子さんは夫の「覚悟」にあらためて気づかされたという。「その生きざまを、心尽くしの料理で支えながら、最後まで見届けたい」とつづっている。

 1月下旬、レノファ山口の鹿児島キャンプ――。

 自主トレの様子を報じたクラブの公式映像には、高卒の新入団選手に「止める、蹴る」の手ほどきをする山瀬選手の姿があった。

 40歳となり、心境の変化もありそうだ。今季はどんなプレーを見せてくれるのか。歴代2位のJリーグ23年連続弾にも期待がかかる(1位は遠藤保仁の24年連続得点)。

 山瀬功治は、「永遠のサッカー小僧」の道産子代表だ! 〈一部、敬称略〉

(了)

by 北 コウタ
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