海外サッカー

中国サッカーは「大国のプライド」よりも、まずは「謙虚さ」

ベトナム戦後の中国代表
ベトナム戦後の中国代表チーム(source: sports.sina.com.cn)

砕かれた「大国のプライド」 ベトナムに国際試合初の敗戦

 サッカーワールドカップ(W杯)のアジア最終予選。2月、2試合を残して中国の本大会出場の可能性が消滅した。下馬評では帰化選手を多く揃える「要警戒チーム」として注目を集めたが、ここまで1勝5敗2分け。勝ち点を積み上げられなかった。

 W杯出場が決まれば20年ぶりだった。国民の期待が大きかっただけに、落胆も大きい。

 とりわけショックだったのは、直近の2月1日に行われたアウェーのベトナム戦だ。1-3で敗れた。中国サッカー史上、国際試合でベトナムに敗れたのは初めてだという。大国のプライドは打ち砕かれた。

 中国から見て、長く格下だったタイやベトナムなどの東南アジア諸国はいま、高い経済成長率に比例してサッカーの力をつけている。アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)に出場する東南アジア勢の試合を見れば一目瞭然だし、クラブの成長が代表チームの強化にしっかり結びついている印象もある。

 一方の中国はというと、東南アジア諸国よりもずっと早くに経済成長をとげた。2008年に北京オリンピックを開催し、2010年には日本を抜いてGDP世界2位に。国内クラブは巨額の資金をもとに競って海外の一流選手や名将監督を獲得。プロリーグが空前の盛り上がりをみせたのは記憶に新しい。

条件や環境は整っているはず なぜ強くならない?

 それなのに、なぜ中国代表は強くならないのか。安定した強化が進まないのか。

 条件や環境は整っているはずだ。サッカーは中国で最も人気のあるスポーツの一つだし、選手のフィジカルはアジアトップクラスの強さだと言われる。さらに2016年からは、国家主導の「サッカー強国」計画が進行中。巨額の投資が成長を後押ししている。(中国サッカーはいまが「分水嶺」。バブル終焉でJリーグを意識した改革へに関連記事)

 私はかつて、中国で語学留学を経験したことがある。1999年から2001年ごろだ。当時の中国は発展途上の真っただ中。学生のほとんどはゴムのポイントが付いた“布製”の国産シューズを履いていた。土のグラウンドはひどいデコボコだった。

 それが2009年に久しぶりに訪れると、グラウンドは人工芝に改修され、学生たちはアディダスやナイキのシューズを履いていた。8年の変化は想像以上に大きく、驚いた。

 あれからさらに10数年が経ち、サッカーを取り巻く環境はもっと良くなっている。この間、中国サッカー協会は「あの手この手」で代表チームの強化を推進。しかし、監督の交代は繰り返され、「長期的ではない」として進めた「帰化戦略」には焦燥感もうかがえるのが現状だ。

ベトナム戦後、中国メディアは「恥をかいた」と報じた

 成長が伸び悩む理由は何なのか。私はこれまで何度も考えてきた。

 国家の体制がサッカーの成長には合わないのか。それとも、長く続いた一人っ子政策による影響か。または、高いサラリーをもらう国内の代表選手の向上心の欠如か――。

 どれも一理あると思っているが、今回あらためて感じたことがある。それは、「大国のプライド」が邪魔をして、「謙虚さ」が足りていないのではないか、ということだ。

 ベトナム戦後、ある中国メディアの記事が気になった。敗戦を「恥ずべきこと」と報じていたからだ。格下に負けたからだろう。だが、試合を見るかぎり、よく組織されたベトナムのパスサッカーは中国を上回っていた。長く格下だったベトナムに、「並ばれた」か「少し追い抜かれた」といった印象があった。

 数日後、今度は、練習を再開した代表チームについて別の中国メディアがこう報じていた。「(次の試合に向けて)代表メンバーは『知恥後勇』の姿勢で取り組んでいる」と。

 「知恥後勇」は儒教の教えの一つで、「恥を知ることは、勇気をもつことに近い」という意味。「自らの恥を認めるには勇気が必要で、それができる人間が成長できる」という解釈のようだ。

 一見ポジティブな言葉だが、「恥」という表現がやはり気になる。「本来、負けるはずのない相手に負けたので、恥をかいた」という主張が感じられるからだ。「大国のプライド」が透けて見える。

 日本が格下に負けた場合、国内メディアは「日本の恥だ」と表現するだろうか。選手なら、「力不足だった」や「実力がないから負けた」など、謙虚なコメントを口にすることが多いように感じる。

「謙虚さ」育ちにくい国民性? 中国語の「驕傲」から考える

 中国人はプライドが高い国民性を持つ。「面子(メンツ)を守る」という独特な文化があるように、「非を認めない」傾向が強い。14億の人口を有し、アメリカと肩を並べる経済大国になったいま、そのプライドはいっそう高まっているようにも感じる。

 中国語の「驕傲(ジァオ アオ)」という言葉からは、その国民性が垣間見れる。

 読んで字のごとく、「おごり高ぶっている、傲慢である」という意味なのだが、それとは別に「誇りに思う、誇り」という意味もあわせ持つ。中国語で「長城是中国人的驕傲」といえば、「万里の長城は中国人の誇りだ」と訳す。面白い単語だ。

 この言葉から考えると、日本人から見て、ときに横柄だったり、おごり高ぶっているように見える中国人の態度は、ひょっとすると、中国人にとっては「中国人らしい、誇らしげな姿」として映っているのかもしれない。そうなると、日本人的な「謙虚さ」は育ちにくい国民性だろう。

サッカー後進国の成長に大切な「謙虚さ」

 サッカー後進国の成長には「謙虚さ」が大切だと私は思う。世界やアジアにおける自らの「現在地」を理解し、おごらず、「うまくなりたい」という謙虚な姿勢で取り組む。それが成長への近道だ。

 中国のプロリーグ発足は1994年。日本と同時期なのに両国には差がついた。理由はそこにつきるのではないだろうか。急成長中のベトナム人の勤勉さは日本人に似ているという。

 ここ数年、中国サッカーは日本を手本にした育成年代の強化に力をいれている。とりわけ、日本の部活動のあり方に注目しており、「サッカーに特化した学校」を2万校つくる計画も打ち出している。

 しかし、重要なのは、いかにして謙虚にサッカーに励む選手を育てられるか。日本の高校サッカーの指導者が教師(教育者)であることを忘れてはならない。プロ選手を多く育て、今年1月に亡くなった高校サッカー界の名将、小嶺忠敏氏の口癖は「常に、謙虚であれ」だったという。

 中国サッカーは今後、どれだけ巨額な資金を投じようと、「あの手この手」で策を講じようと、選手や指導者の意識改革がなければ大きな変化はあらわれないのではないだろうか。

 「大国のプライド」よりも、まずは「謙虚さ」だ。

(了)

by 北 コウタ
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