カルチャー

訪れてみたい、“サッカー侍”が戦った街 ― ザンクトパウリ(ドイツ/ハンブルク番外編)

ザンクトパウリ埠頭の建物
ザンクトパウリ埠頭のランドマークとなっている時計塔が印象的な石造りの建物(source: Wikimedia Commons)
 日本サッカーの成長とともに、いまや日本人選手の海外移籍は後をたたない。それはヨーロッパのみならず、世界各国に及んでいる。そんな“サッカー侍”たちが、かつて戦った街がある。いま戦っている街がある。それだけで、「いつか訪れてみたい…」。そう思わせる魅力がある。

ハンブルクにあるもう一つの有名クラブ「FCザンクトパウリ」

 ドイツ北部の港湾都市ハンブルク。元日本代表のFW高原直泰やDF酒井高徳がハンブルガーSV時代に戦った街として知られるが、この街にはもう一つ日本人にゆかりの深い知名度の高いクラブがある。

 市内ザンクトパウリ地区に本拠を構える「FCザンクトパウリ」だ。

 元日本代表の宮市亮が6シーズン在籍。また、サッカー通なら知っているであろう、同じく元日本代表の尾崎加寿夫氏(*)が1988年から1シーズン戦った。

レンタル移籍が続いた宮市亮が6年過ごした「第2の故郷」

 快足FWとして注目された宮市亮は、中京大学附属中京高校(愛知県)の3年時にイングランドの名門アーセナルと契約。卒業を待たずに2011年1月に渡英した。

ザンクトパウリ時代の宮市亮
FCザンクトパウリ時代の宮市亮。6シーズンを過ごした(source: fcstpauli.com

 しかし、入団後はオランダを含む4クラブをレンタル移籍で渡り歩いた。アーセナルでは満足のいく出場機会が得られないまま、2015年6月に契約満了で退団。そんな宮市がフリーで移籍したのがザンクトパウリだった。

 レンタル続きの宮市にとって、6年も過ごしたこのクラブこそ「第2の故郷」と呼べるだろう。

 また、ここでは彼のサッカー人生を語る上で外せない膝の前十字靭帯損傷という悲劇を2度経験。大怪我を克服する過程で精神的な成長をとげた特別な場所でもある。

 2度目の膝靭帯損傷直後、クラブは宮市と2年間の契約延長を結んだ。宮市がどれほど愛され、必要とされていたのかがよく分かるエピソードだ。宮市は6シーズンで公式戦80試合に出場し、8ゴール、9アシスト。2021年7月に横浜F・マリノスへ移籍した。

ドイツの「海の玄関」 世界中の外国船が集まる経済拠点

ハンブルクを示す地図
ハンブルクは赤い★の地点

 海に面していないハンブルクは、北海に注ぐエルベ川の河口から約100キロさかのぼったところにある。ザンクトパウリ地区はその入口。ドイツの「海の玄関」である。

 地区の北側には広大な敷地面積をもつ埠頭(ふとう)あり、世界中の大型船や貨物船が集まるドイツ経済を支える重要拠点だ。

 最初の埠頭は1839年に蒸気船のドックとして造られた。1900年代初頭に拡張されたが、第二次世界大戦で被災。現在の埠頭は1950年代に再建されたものだ。

 埠頭一帯は観光地としても人気が高い。ランドマークは時計塔が印象的な石造りの建物(最上段の写真)。重厚感がただよう。市内を巡る遊覧船ツアーもここから出ており、約1時間の基本コースは15ユーロくらいからだという。

宿場町として発展 レーパーバーンは欧州屈指の繁華街

 ザンクトパウリは、長旅から帰った船乗りたちが開放感を求めて繰り出す場所として、古くから飲食業だけでなく、風俗業も発達。宿場町として栄えた。 

欧州屈指の繁華街レーパーバーン
船乗りが開放感を求めたレーパーバーン。飲食業や風俗業が発達した(source: hamburg.com)

 埠頭からほど近い高台にある全長1キロほどの大通り「レーパーバーン(Reeperbahn)」は、ヨーロッパ屈指の歓楽街。昼夜を問わずにぎわう。

 だが、歓楽街ゆえに治安の悪さが常に問題視されてきた。日本のガイドブックの多くは「危険な場所」として注意喚起を促す。

 それでも近年は、劇場やライブハウス、ショッピングを楽しむ商業施設が増加傾向だ。街の様相は変わりつつあるという。用心を怠らずに散策を楽しみたい。

「ビートルズ」が下積み時代を過ごした“ファンの聖地”

 レーパーバーンは伝説的ロックバンド「ビートルズ(The Beatles)」誕生の地としても有名だ。

 イギリス・リヴァプール出身のビートルズは、デビュー前の下積み時代にこの地でライブ活動を行った。渡独後、「シルバー・ビートルズ」からバンド名を改め、活動を始めたという。

 ハンブルクでの初ライブは1960年8月17日。会場となった「インドラ・クラブ(Indra Club)」はいまもレーパーバーンに存在し、ファンの聖地として人気の“巡礼スポット”になっている。

 ビートルズはインドラ・クラブを皮切りに複数のライブハウスで活動。毎日6~8時間のハードな演奏をこなすなかで曲のレパートリーを増やし、演奏の腕を上げ、ミュージシャンとしての自信をつけた。

 のちにジョン・レノンは「僕はリヴァプールで育ったんじゃない。ハンブルクで育ったのさ」と語っている。

ビートルズが公演したインドラ・クラブ
ビートルズのハンブルク初公演の会場「アンドラ・クラブ」。ファンの聖地としていまも現存する(source: hamburg-magazin.net)
ザンクトパウリにあるビートルズ広場
2008年に造られたビートルズ広場は比較的新しいメモリアルスポットだ(source: Wikimedia Commons)

 レーパーバーン駅の近くには、レコード盤をイメージして設計された円形状の「ビートルズ広場(Beatles-Platz)」があり、元メンバーのスチュアート・サトクリフを含む5人のオブジェが立つ。

by KEGEN PRESS編集部
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