カルチャー

訪れてみたい! “サッカー侍”が戦った街 ― ルマン(フランス)

1985年設立の「ルマンFC」 背景に“ライバルクラブ”の合併

 「ルマンFC(Le Mans FC)」の公式サイトを見ると、1985年に2つのクラブが合併して設立されたと記される。

ルマンFCのエンブレム
ルマンFCのエンブレム。自動車の街にちなみ「馬力」を表す馬が描かれる

 設立年だけを見れば比較的新しい。だが、2つのクラブはライバル関係にあり、ともにルマンのサッカー史を築き上げた存在だ。

 1889年設立の「ユニオン・スポルティーヴ・デュ・マン (Union Sportive du Mans)」(以下、USM)は総合スポーツクラブ。1903年にサッカー部門を発足し、1910年にはフランスサッカー選手権(フランス最古のサッカー大会)に出場している。

 ナチス・ドイツ占領下の1942年にプロ化したが、その後は低迷し1952年にプロ化を解消。市の財政支援を受けるも、1981年に4部リーグに降格した。

Union Sportive du Mans
1945-46年頃のユニオン・スポルティーヴ・デュ・マン(source: histoire.maillots.free.fr)

 存続が危ぶまれる中、「スタッド・オリンピック・デュ・メーヌ(Stade Olympique du Maine)」(以下、SOM)との合併案が持ち上がった。

 SOMは1933年設立。ルマンに本社を置く大手保険会社「ミュチュエル・デュ・マン」(現名称はMMA)の資金提供を受け、着実に成長。1983年に3部リーグに昇格した。

 だが、同社の財政支援が終了すると、2部昇格に向けたクラブ運営は行き詰まった。

■ルマン市長も加わった合併協議 

 合併協議には当時のロバート・ジャリー市長も加わった。両クラブの会長と複数回会談したという。

 さらに地元紙「ル・メーヌ・リブレ」も協力し、合併後の名称に関する読者調査を実施。注目を集めた「ル・マン・ユニオン・クラブ72(Le Mans Union Club72)」(以下、MUC72)に決まり、1985年6月12日に新クラブが誕生した。「72」はサルト県の県番号である。

USMとSOMのエンブレム
USMとSOM(右)のエンブレム

 実際には、両クラブは女子やユースのチームを保有したままそれぞれ存続。男子のシニアチームのみが合併した形だ。

 USMのクラブカラーは青、SOMは緑だったが、MUC72は市政府の提案により、ルマン市の紋章に使用される赤と黄を採用した。

 2010年、クラブ改革の一環で「ルマンFC」に名称を変更。

多額の負債で2013年に財政破綻 6部リーグに降格処分

 合併後、MUC72はSOMが所属していた3部リーグから始動し、1988年5月に2部リーグに昇格した。

 2003年5月、念願のトップリーグ昇格。2010年までの間、リーグ・アン(1部)で6シーズンを戦った。新クラブ発足後、最も盛り上がりを見せた時代であり、そのうち3シーズンに松井大輔が在籍した。

 一方、2010年の2部降格以降は低迷期といえる時代を過ごす。

 とりわけ大きな局面を迎えたのは2013年5月。3部降格が決まった直後、多額の負債を抱え財政破綻した。国家経営管理局(DNCG)から4部降格を言い渡されたが、最終的にフランスサッカー連盟は6部降格の処分を下した。

 6部リーグから再出発したクラブは、現在3部リーグに所属する(2025年4月時点)。

女性スポーツ界の先駆者の名を冠したホームスタジアム

 ホームスタジアムは「スタッド・マリー・マルヴァン」(Stade Marie Marvingt)。約2万5000人収容の屋根付きスタジアムだ。

 市郊外南部に位置し、付近には24時間レースの会場であるサルト・サーキットや自転車競技場、ゴルフ場など多数のスポーツ施設が密集する。

ルマンFCの本拠地スタッド・マリー・マルヴァン
2011年完成のスタッド・マリー・マルヴァン(source: stademariemarvingt.com

 クラブ創設当初は歴史ある「スタッド・レオン・ボレ」(1906年完成)を使用していた。2005年の2度目のリーグ・アン(1部)昇格を受け、新スタジアム構想が浮上。2011年に完成した。

 フランスで初めてネーミングライツ(命名権)を適用したことでも知られる。開業から2022年までは地元の保険会社MMAが命名権を取得し、「MMアリーナ」と呼ばれた。

 名称のマリー・マルヴァン(1875―1963年)はフランスに実在した女性だ。スポーツ選手、登山家、飛行士、看護士など多彩な活躍をみせ、とりわけ女性スポーツ界では数々の功績を残した先駆者だ。

 なぜ、彼女の名前を冠したのか。公式サイトは理由について「すべての女性スポーツを推進する強いテーマだ」と記す。2022年にルマンFC女子チームが国内リーグ2部に昇格したことも理由の一つだ。

モータースポーツ聖地ゆえの苦悩? 課題はスポンサー獲得

 振り返れば、松井大輔の加入以降にリーグ・アン(1部)に定着。松井がルマンを離れると、徐々に下降線をたどったように感じる。まさにクラブ史を照らした「太陽」だったわけだ。

 それにしても、財政難で合併したクラブが再び財政難で破綻したのはどうしてなのか。もしかすると、モータスポーツの聖地ルマンで、サッカー人気を高めることの難しさが関係するのかもしれない。リーグ・アン(1部)昇格以前の観客動員数は多くなかったという。

 クラブは現在も、市やサルト県議会と財政協定を結ぶ。補助金が大きな支えになっており、喫緊の課題はスポンサー獲得だという。

(了)


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by KEGEN PRESS編集部
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