カルチャー

訪れてみたい、“サッカー侍”が戦った街 ― ハンブルク(ドイツ)

ハンブルクの街並み
ドイツ最大の貿易拠点のハンブルクの街(source: Wikimedia Commons)
 日本サッカーの成長とともに、いまや日本人選手の海外移籍は後をたたない。それはヨーロッパのみならず、世界各国に及んでいる。そんな“サッカー侍”たちが、かつて戦った街がある。いま戦っている街がある。それだけで、「いつか訪れてみたい…」。そう思わせる魅力がある。

Jリーグ得点王の高原直泰が 新たな挑戦の舞台に選んだ街

 ドイツ北部にある港湾都市ハンブルク。元日本代表FWの高原直泰がハンブルガーSV時代に戦った街だ。高原は2002年のJリーグで、MVPと得点王(26得点)の二冠を獲得。ジュビロ磐田を優勝に導き、新たな挑戦の舞台にハンブルガーSV(当時、国内1部)を選んだ。同年12月に移籍。23歳だった。

 「寿司ボンバー」の愛称で親しまれた。リーグ3戦目となる2003年2月9日の敵地バイエルン・ミュンヘン戦でサポーターの心をつかんだ。

ハンブルガーSV時代の高原
ハンブルガーSV時代の高原直泰(source: getty images)

 バイエルンはドイツ代表GKの守護神オリバー・カーンが連続無失点記録を更新中。鉄壁だった。1-0でバイエルンがリードする後半アディショナルタイム。右からのクロスに飛び込んだ高原が劇的な同点弾を頭でたたき込んだ。

 カーンは736分の連続無失点記録を802分まで更新。だが、ついにゴールを破れた。「寿司ボンバー」の異名がドイツ中を駆けめぐる。日本でも大々的に報道され、遠いドイツで躍動する若き侍に胸がおどった。

 高原はハンブルガーSVに3シーズン半在籍し、リーグ戦97試合で通算12得点。ゴール量産とまではいかなかったが、日本人ストライカーとして初めてドイツで活躍した選手と言えるだろう。2006年5月にアイントラハト・フランクフルトへ移籍した。

ドイツ最大の貿易拠点 中世は「ハンザ同盟」の主要都市

 ハンブルクは、北海へ注ぐエルベ川の河口から約100キロさかのぼったところにある。人口185万人はベルリン(366万人)に次ぐ国内第2位(2020年の統計)。ドイツ最大の貿易拠点として国内の経済を支える。空の玄関フランクフルトからは高速鉄道で約4時間の距離だ。

ハンブルク地図
ハンブルクは赤い★の地点

 古代ローマの金貨が出土されており、当時から交易が行われていたようだ。14世紀ごろからは「ハンザ同盟」(北ヨーロッパにおける商圏拡大のための都市同盟)の主要都市として発展。世界史の授業で学んだ人もいるだろう。

 18世紀以降は、アメリカ合衆国やラテン・アメリカ諸国の相次ぐ独立を背景に、アジアも含めた諸外国を結ぶ海運業が最盛期に。急成長をとげた。

 ハンブルグ(Hamburg)の地名は9世紀初めにカール大帝がこの地に城塞を築いたことに由来。城塞はドイツ語で「burg」だが、「Ham」の意味は「小高い丘」「湾」などの諸説があるという。

レンガ造りの「倉庫街」は世界遺産 海運業で栄えた街の象徴

 そんなハンブルクの繁栄を伝える歴史的建造物がある。レンガ造りが美しい倉庫街と商館街だ。2015年にユネスコの世界遺産に登録された。

 世界中の商品がここで荷揚げされ、倉庫を通じてヨーロッパ各地へ。一方、ヨーロッパ中から集められた商品が世界へと輸出された。倉庫群は海運業で栄えた街の象徴だ。

■港に近いザンクトパウリ地区 船乗りの交流の場

ハンブルクの倉庫群
ネオ・ゴシック様式の外観が美しい倉庫群。2015年に世界遺産に登録された(source: Dietmar Rabich / Wikimedia Commons)

 港に近いザンクトパウリ地区は、昔から船乗りが住む市民にとっても特別な場所。散策したい人気スポットだ。

 世界中の船乗りがここを訪れ、ひとときの休息を過ごし、帰路についた。宿場町として発展した人々の交流の場であり、ヨーロッパ屈指の歓楽街レーパーバーンもこの地区にある。

 レーパーバーンは、あのビートルズが下積み時代を過ごした場所としても知られる。ファンの聖地だ。

 また、ザンクトパウリ埠頭から徒歩10分のエルベ川に沿いでは、日曜日の早朝に「フィッシュマルクト(Fischmarkt)」が開催される。ハンブルクならではの屋台グルメが味わえる300年以上の歴史がある名物の魚市場だ。

ハンブルク発祥の「ハンバーグ」はドイツ人の郷土料理

 ハンブルク発祥といえば、なんと言ってもハンバーグだろう。

 18世紀ごろ。当時のハンブルクでは、生肉をタルタル状(みじん切り)にしてパン粉を加えて焼いた肉料理が人気だった。

ドイツのフリカデレ
ドイツのハンバーグ「フリカデレ」はサイズが小さめだ(source: chefkoch.de)

 ドイツ人はこれを「フリカデレ (frikadelle)」と呼んだ。

 19世紀後半になると、多くのドイツ人がアメリカへ移住。すると、ドイツ人は現地でも郷土料理としてフリカデレを愛食した。これがきっかけでアメリカ全土に広がっていったという。

 アメリカ人から見ると、フリカデレは「ハンブルク風のステーキ」。英語に直訳した「ハンバーグステーキ (Hamburg steak)」がそのまま名称になったわけである。

■日本でおなじみの「ニベア」も 実はハンブルク発

 日本人におなじみのスキンケア商品「ニベア(NIVEA)」も、実はハンブルク発だ。

ニベアハウスの限定グッズ
ハンブルクのニベアハウスに並ぶ限定グッズ(source: nivea.de

 1900年にハンブルクの薬剤師オスカー・トロプロヴィッツが、「オイセリット」という乳化剤に目をつけ、水と油の混合に成功。濃厚な保湿クリーム「ニベア」が誕生した。

 1911年に初めて薬局に並ぶと、国内で大評判に。数年で世界各国へ輸出された。ラテン語で「雪のように白い」を意味するニベア。日本では1968年以来、ハンブルクにある直営企業と花王による合弁企業「花王ニベア」が製造販売を手がけている。

by KEGEN PRESS編集部
LINEで送る
Pocket