海外サッカー

「李鉄を信じろ!」。サッカー協会が全幅の信頼を寄せる中国代表監督

エヴァートン時代の李鉄
英プレミアリーグ・エヴァートン時代の李鉄(source: sports.sina.com.cn)

 W杯出場を通じて、李鉄は海外移籍のチャンスをつかんだ。

 2002年夏にイングランド・プレミアリーグのエヴァートンFCに期限付き移籍。デイヴィッド・モイーズ監督の信頼を勝ち取りボランチとして公式戦33試合に出場し、サポーターの予想を覆す活躍を見せた。当時の同僚にはブレイク前の若きウェイン・ルーニーがいた。

 しかし、イングランドでの輝きは1シーズンにとどまる。完全移籍した翌シーズンからは怪我の影響もあり試合出場の機会が激減した。

 2006年にエヴァートンを退団するまでに公式戦の出場は5試合のみ。同年、シェフィールド・ユナイテッドに移籍するも、2年間で公式戦の出場は1試合と不遇の時を過ごした。

 2008年に中国の成都謝菲FCに移籍。翌2009年には古巣の遼寧FC(当時の名称は遼寧宏運)に戻った。

引退後はイタリアの名将リッピの下で指導者キャリアをスタート

 選手キャリアの晩年、怪我に悩まされた李鉄は2010年ごろから遼寧FCのコーチも兼任した。育ててくれたクラブへの恩返しの気持ちがあったのかもしれない。

 2012年5月、広州恒大(現・広州FC)の監督に就任したイタリアの名将マルチェロ・リッピは、李鉄をコーチとして招へい。応じた李鉄は事実上、現役を引退した。李鉄はリッピの下で指導者としてのキャリアをスタート。傍らで学びながら、師弟関係を築いた。

 2015年6月に広州恒大を離れてからは、河北華夏幸福(現・河北FC)や武漢卓爾(現・武漢FC)の監督を歴任し、独自のコーチング理論を磨いた。なお、2014年5月からは中国フル代表のアシスタントコーチを兼務している。

 2016年10月、リッピが中国代表監督に就任すると、再びタッグを組んで2022年W杯予選に臨む。しかし、成績不振によりリッピは途中で辞任(2019年11月)。CFAから後任を託された李鉄は2020年1月に中国代表監督に就任した。

リッピと李鉄
監督就任前はコーチとして名将リッピを支えた (source: source: ppsport.com)

サッカー協会が育てた“レジェンド” 信頼は揺るがない、長期的なものか?

 経歴をたどれば、李鉄がなぜCFAの信頼を得ているのかが分かってくる。

 CFAによる国家プロジェクトによってブラジル留学を経験し、中国代表選手に成長した。W杯初出場に貢献し、英プレミアリーグ移籍をはたした。李鉄はCFAが育て上げたレジェンド選手といっても過言ではない。だからこそ、引退後もつねに目をかけ、クラブと兼務させてでも代表コーチを任せてきたのではないだろうか。いつか代表監督を託す日が来ると考えて。

 9月3日の初戦のオーストラリア戦後、中国国営の新華社通信は「中国代表の敗北を冷静かつ客観的に見よう」と題する記事を報じた。記事は「驚きはない。FIFAランキング35位のオーストラリアと71位の中国との力の差は一夜にして広がったわけではない」と伝えた上で、「オーストラリア戦の負けが『世界の終わり』ではない。最終予選はまだ9試合も残っている」と希望を捨てないよう促した。

 そして、強調したのは李鉄に対する信頼だ。

 「中国サッカーの歴史において、プレッシャーに圧倒された選手や監督は少なくない。しかし、粘り強さで知られる李鉄はその中にはいない」と強調。さらには「いまの状況で、李鉄ほど代表チームをよく知る人は誰もいない。問題を解決できるのは李鉄だけだ。李鉄を信じろ!」と呼びかけた。

 W杯最終予選が始まる直前の8月22日、CFAは李鉄との監督契約を2026年まで延長したことを明かした。結果がどうであろうと、信頼は揺るがないという意味なのか。長期的な視野に立った上での契約延長だということなのか。見届けたい。〈敬称略〉

(了)

by KEGEN PRESS編集部
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