訪れてみたい、“サッカー侍”が戦った街 ― ハンブルク(ドイツ)
ハンブルガーSVの「SV」は「スポーツ協会」を意味する
ハンブルガーSV(以下、HSV)は、ドイツで2番目に古く、ハンブルク最古のサッカークラブ。
正式名称は「ハンブルガー・シュポルト=フェアアイン・エー・ファウ(Hamburger Sport-Verein e. V.)」とけっこう長い。
この「SV」は「スポーツ協会、連盟」を意味する。つまり、HSVは総合スポーツクラブであり、バスケットボールや野球、バドミントンなどの他の競技クラブも運営している。
かつて所属した高原直泰が2015年に設立した「沖縄SV(エス・ファウ)」のクラブ名はHSVに由来する。Jリーグを目指す一方で、将来的には他のスポーツにも活動を広げる計画だという。
3つのクラブが1919年に合併 創設「1887年」とする理由
HSVは、前身となる3つのクラブが合併して誕生した。
その母体となったのは、1888年にハンブルク市初のサッカークラブとして創設された「ハンブルガーFC」だ。1914年に「ハンブルガーSV」に改称。陸上競技の活動も盛んだったため、「SV」に改めたという。
その後、1919年7月にSCゲルマニア(1987年創設)とFCファルケ(1906年創設)の2つのクラブが加わり、新生「ハンブルガーSV」が誕生した。合併の背景には、第一次世界大戦の影響によるクラブの弱体化があり、選手や財政面などの相互補完がねらいだったという。
合併当初、クラブの創設日はハンブルガーFC発足の1988年6月1日と定めた。しかし、1932年に最古のSCゲルマニアの創設日「1887年9月29日」に変更。クラブ規約を改正した。
クラブの公式カラーは青と白と黒。旧ハンブルガーSVやSCゲルマニアのクラブカラーを採用し、エンブレムなどに使用している。一方、ホームゲームで着用するユニフォームはハンブルク市の旗や紋章、ハンザ同盟の象徴カラーである赤と白。そのため、クラブの愛称は「赤い短パン」を意味する「die Rothosen」だ。
サポーターが望む「古豪復活」 過去の栄光と現在の低迷
HSVは、1963年のブンデスリーガ創設の初年度に参加したクラブだ。
その前身であるドイツ選手権で3回、ブンデスリーガで3回の計6回の国内リーグ優勝を誇る。そのほか、DFBポカール杯(カップ戦)も優勝3回。古豪と呼ばれるゆえんだ。
さらに欧州制覇2度の輝かしい実績もある。
UEFA(ヨーロッパサッカー連盟)主催のカップウィナーズカップ(1976-77年)とチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ、1982-1983年)をそれぞれ掲げた。
これら国内外のタイトル獲得はいずれも1960年代から1980年代までに集中する(ブンデスリーガ開幕前のドイツ選手権制覇を除く)。クラブ史における黄金時代だ。
だが、輝かしい過去の栄光を背景に、現在のHSVは長い低迷期にあると言える。1986-87年シーズンのブンデスリーガ優勝以来、タイトル獲得はない。サポーターは歯がゆさを感じているだろう。
■「54年261日」でスタジアムの時計は止まった 悲しみの2018年5月12日
2018年5月12日はクラブ史上最も悲しく、忘れられない一日となった。
1963年のブンデスリーガ創設以来、HSVは1度も2部降格を経験していない唯一のクラブだった。だが、2017-2018年シーズンの最終戦。ついにそのときがきた。
本拠地のフォルクスパルクシュタディオン (Volksparkstadion)には、かつてブンデスリーガ開幕からの経過時間を示す“名物の時計”が掲げられていた。サポーターの誇りだったが、時計は「54年261日」でストップ。それが2018年5月12日の出来事だ。
クラブは一年での1部復帰を誓ったが、現在も2部で戦う日々は続いている。ちなみに2部降格当時に主将を務めたのは元日本代表の酒井高徳だ。
“名物の時計”は2部降格後に撤去された。サポーターは長い時間、「古豪復活」を待ち望んでいる。
北ドイツの覇権争う「ノルト・ダービー」 いまは機会なし
同じ北ドイツに本拠地を構え、ハンザ同盟都市としても同じ歴史を共有するブレーメン市の「ヴェルダー・ブレーメン」とはライバル関係にある。国内では「ノルト・ダービー」と呼ばれ、人気の対戦カードだ。しかし、HSVの2部降格により久しく対戦できていない。
その分、これまで機会が無かった同じハンブルクに本拠を置く「FCザンクトパウリ」(2部在籍)との熾烈なハンブルク・ダービーが復活。街を盛り上げている。だが、もちろん市民が望むのは1部でのダービー・マッチだろう。
(了)