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塗り替えられたゲルト・ミュラーの記録。「4EVER GERD」-その栄光を振り返る

得点を決めるゲルト・ミュラー
ゲルト・ミュラーは7度のブンデスリーガ得点王に輝いた(source: bundesliga.com

ベッケンバウアーと同期入団、FCバイエルンの礎を築く

 結果として、ミュラーの選択は正しかった。その大きな理由に、のちに「皇帝(カイザー)」と呼ばれる同い年のフランツ・ベッケンバウアーの存在がある。

 ミュラーがプロ契約を結んだ1964年、ベッケンバウアーはFCバイエルンの下部組織からトップへ昇格した。のちの「爆撃機」と「皇帝」は同期入団し、チームメイトに。2人の活躍もあり、FCバイエルンは1964―1965年シーズンで容易にブンデスリーガ昇格を決めた。

 その後、ベッケンバウアーらとFCバイエルンの黄金期を迎えたミュラーは、4度のブンデスリーガ優勝(1969、1972~1974)、同じく4度のDFBポカール(ドイツカップ)優勝(1966、1967、1969、1971)、ヨーロッパチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)の3連覇(1974~1976)、UEFAカップウィナーズカップ(1967)、インターコンチネンタルカップ(1976)の制覇と数々のタイトルを獲得。FCバイエルンの礎を築いた。

 ミュラー個人としては7度のブンデスリーガ得点王に輝いた。同リーグ通算365得点の記録はいまも破られていない(レヴァンドフスキは現在、通算203得点)。

■ W杯通算14得点、背番号13はエースの象徴に

 一方、西ドイツ代表としては62試合に出場し、68得点をあげた。ワールドカップ1970年メキシコ大会は10得点で得点王。母国開催の同1974年西ドイツ大会は4得点で優勝に貢献した。また、1972年のヨーロッパ選手権では決勝戦の2ゴールなどで西ドイツを優勝に導いた。

 世界中に「爆撃機」の異名をとどろかせたミュラーは、ヨーロッパ・ゴールデンブーツ (1970 、1972)とドイツ年間最優秀選手(1967、1969)を2度ずつ、そしてヨーロッパ年間最優秀選手(1970)を受賞。ワールドカップ通算14得点の記録は2006年まで破られなかった。

1974年ワールドカップ西ドイツ大会決勝戦でゴールを決めたゲルト・ミュラー
1974年W杯決勝戦でゴールを決めるゲルト・ミュラー(source: dfb.de

 代表チームで彼が付けた「背番号13」はいつしかエースナンバーの象徴となり、それぞれの年代で中核をなしたルディ・フェラーやミヒャエル・バラック、トーマス・ミュラーらが背負っている。

 ミュラーは1979年にFCバイエルンを去り、現役最後のプレーの場所をアメリカに求め移籍。フロリダ州のフォートローダーデール・ストライカーズなどに所属し、1982年に現役を引退した。

 引退後は、1992年から2014年までFCバイエルンの育成部門でコーチなどを務めた。

ゴール前での本能的な嗅覚、卓越した得点感覚

 ゲルト・ミュラーのプレーを語るとき、まず出てくるのがその見た目についてだ。

 身長176cm、体重74kg。小柄で決してスリムとは言えず、太ももは異常に太い。日本のメディアで紹介されるときは決まって「ずんぐりとした体格」と表現される。185cm、81kgのレヴァンドフスキとは対象的だ。

 フォワードとしてのミュラー最大の特徴はゴール前での独特な嗅覚。本能的に得点の匂いを嗅ぎつけ、ゴールを量産する。どんな体勢であっても、頭、体、足、スネなど、あらゆる体の部位を使って流し込む。「泥臭い」ゴールが真骨頂だ。

by KEGEN PRESS編集部
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