海外サッカー

規模拡大の「FIFAクラブワールドカップ」 ― 紆余曲折の歴史をたどる

クラブワールドカップの歴史
 サッカークラブの世界一を決める「FIFAクラブワールドカップ」が大規模に拡大され、2025年6月15日(日本時間)からアメリカで開催される。FIFA(国際サッカー連盟)は「クラブサッカーの黄金時代」と銘打ち、破格の賞金と黄金のトロフィーを用意。6大陸王者を含む32クラブが参加し、1カ月におよび熱戦を繰り広げる。歴史をたどれば、前身の大会が始まったのは1960年。紆余曲折とFIFAの試行錯誤を経て現在に至る。大会はどのような変遷をたどったのか。

1960年に欧州と南米の王者が初対決 1980年から「トヨタカップ」に

 歴史をさかのぼれば、「クラブ世界一」を決める試みは1960年に始まった。

 欧州サッカー連盟主催の「UEFAチャンピオンズカップ」(現UEFAチャンピオンズリーグ)が1956年に始まると、その南米版であるコパ・リベルタドーレス(南米サッカー連盟主催)が1960年に発足。同年、両大会の王者が直接対決する「インターコンチネンタルカップ」(正式名:ヨーロッパ/サウスアメリカ・カップ)が開催された。

1988年のトヨタカップを制したナシオナル・モンテビデオの選手たち
1988年12月に開催されたトヨタカップを制したナシオナル・モンテビデオ(ウルグアイ)の選手たち。トヨタカップ時代は「TOYOTA CUP」と記された副賞のトロフィー(左)も贈られた

 創設当初はホーム・アンド・アウェー方式の2試合制で開催された(引き分けの場合はプレーオフ)。

 しかし、意地とプライドをかけた試合は年を追うごとに加熱。選手やサポーターによる暴動行為が頻発するようになった。1970年代になると、出場を辞退するクラブが出るなど大会が開催されない年もあった。

 こうした問題を解消するため、1980年に始まったのが「中立の第三国である日本」で一発勝負を行う、通称「トヨタカップ」(正式名:トヨタ・ヨーロッパ/サウスアメリカ・カップ)だ。日本人には思い出深い大会として記憶に残る。

 世界的に知名度の高いトヨタ自動車が冠スポンサーとなり、MVPの選手にはトヨタ製の乗用車が贈られた。トヨタカップは2004年まで続いた(*)。

FIFAは認めず 「欧州・南米親善試合」と呼ぶ時代もあった

 一方、2大陸間の王者のみで世界一を決める「インターコンチネンタルカップ」をFIFAが認めていたわけではなかった。

 理想とするのは全6大陸の王者が集結する大会だ。国際サッカーを統括する立場として当然だろう。そのため、FIFAはこの大会を「欧州・南米親善試合」と呼んでいた時代がある。

 この間、アジアや北中米カリブ海のサッカー連盟が参加を要請したり、FIFAが大会規模の拡大を検討する動きがあったという。しかし、欧州、南米の両連盟が受け入れることはなく、実現していない。

 当時、欧州、南米のサッカーレベルは突出していた。事実上「世界一決定戦」であることは明白であり、FIFAは黙認せざるを得ない状況にあったともいえる。

FIFAの理想が形に 2000年に「FIFAクラブ世界選手権」開催

 FIFAの理想が形になったのは2000年1月。6大陸のサッカー連盟から8クラブが参加する「FIFAクラブ世界選手権2000」がブラジルで初めて開催された。

2000年のFIFA世界クラブ選手権で優勝したコリンチャンス
「FIFAクラブ世界選手権2000」で優勝したコリンチャンスの選手たち(source: getty images)

 背景には、1990年代以降、欧州、南米以外の国もワールドカップ(W杯)で活躍するようになったことがある。

 FIFAはサッカー発展途上国を支援しつつ、「機が熟す」のを待っていたのだろう。

 大会は予選リーグと決勝トーナメントの2部構成で行われ、ブラジルのコリンチャンスが初代王者に輝いた。

■スポンサー企業が倒産 第2回大会が中止に…

 FIFAは「クラブ世界選手権」をトヨタカップに代わるものとして開催した。しかし、翌年に開催予定の「第2回スペイン大会」が、運営するスポンサー企業の倒産により中止に追い込まれた。代わりのスポンサーも見つからず、大会の再開は困難な状況となった。

 よって、2000年のトヨタカップは並行して開催され、その後も2004年まで続いた。

トヨタカップを引き継ぐ「FIFAクラブ世界選手権」が再開

 「クラブ世界選手権」の再開を模索するFIFAだったが、道のりは平坦ではなかった。

 スポンサー探しに苦戦する一方で、欧州サッカー連盟の反発があったという。一発勝負のトヨタカップに比べて試合数が多く、選手の負担や怪我が危惧されたからだ。

 そんな中、FIFAを後押ししたのは国際サッカー情勢の変化だ。欧州、南米とそれ以外の地域のレベル格差が縮まり、6大陸による「世界一決定戦」を求める機運が高まっていた。

「FIFAクラブ世界選手権トヨタカップジャパン2005」の大会ロゴ(source: FIFA

 FIFAは、欧州と南米のクラブに有利な大会方式(シード制を導入したトーナメント方式で少ない試合数を優遇)を提案し、交渉。両サッカー連盟およびトヨタ自動車と合意した。

 2005年、トヨタカップを引き継ぐ形で「FIFAクラブ世界選手権 トヨタカップジャパン2005」が開催された。

 2005年以降は6大陸王者による大会が通例となり、翌2006年から大会名が「FIFAクラブワールドカップ」(以下、クラブW杯)に変更された。さらに2007年から「開催国枠」が設けられた。

 2000年以降は日本以外でも大会が開催されるようになり、2014年大会を最後にトヨタ自動車が冠スポンサーから撤退した。

「クラブW杯」拡大案と「インターコンチネンタル杯」新設

 FIFAが32クラブによるクラブW杯の拡大案を発表したのは2016年12月。

 当初は2019年6月に開催される予定だったが、新型コロナウイルスの世界的な蔓延による影響で大幅に遅れた。そのため、従来の大会が2023年まで行われた。

 拡大版のクラブW杯は2025年に始まり、今後は4年に一度開催される。よって「世界一のクラブが決まるのも4年に一度」と考えてしまうが、実際はそうではない。

 FIFAはクラブW杯とは別に、新たな「FIFAインターコンチネンタルカップ」を立ち上げ、2024年から始めた。大会は毎年開催される。

■新インターコンチネンタル杯は欧州に有利な方式

 新設の「インターコンチネンタルカップ」は全6大陸の王者が参加する。従来に近いが、大会方式は欧州王者がとりわけ有利なものになっている。

FIFAインターコンチネンタルカップの大会方式

 他の5大陸王者による予選やプレーオフが行われ、勝ち上がったクラブのみが決勝で欧州王者と対戦できる異例の方式だ(詳細は図表を参照)。

 FIFAの公式レポートによると、「FIFAクラブワールドカップは2023年をもって現行の大会が廃止されることから、各サッカー連盟はプレミア大会の優勝クラブ同士が毎年対戦し、競争力を高める必要性を表明した。これを受け、FIFA理事会は2024年から毎年FIFAクラブ大会を開催するという戦略構想を全会一致で承認した」(2023年3月)と記される。

 どのような経緯でここまで欧州有利な大会方式になったのかは分からない。とにかく、後付けでつくられた印象が強い。

 2024年のインターコンチネンタルカップ決勝は12月14日にカタールで行われ、レアル・マドリード(スペイン)がパチューカ(メキシコ)に3-0で勝利し、世界王者の栄冠をつかんだ。

2017年、FIFAがすべての歴代優勝クラブを「世界王者」に認定

 クラブW杯の歴史は1960年創設のインターコンチネンタルカップに始まり、紆余曲折を経て、現在に至る。

 その過程で、FIFAがインターコンチネンタルカップを認めない時代があった。2000年には、FIFAクラブ世界選手権とトヨタカップが並行して開催されたこともあった。

FIFAクラブワールドカップのトロフィー
新たに用意されたFIFAクラブワールドカップの黄金トロフィー(source: FIFA

 こうした試行錯誤を“精算”するかのように、FIFAは2017年10月の理事会において、「1960年から2004年の間に開催されたインターコンチネンタルカップで優勝した欧州と南米のすべてのクラブを世界チャンピオンとして認定する」ことを決定した。

 FIFAが公表する歴代世界王者リストには、2000年に2つのクラブが名を連ね、複雑な大会の歴史を物語っている。

(了)

*… 「1980年インターコンチネンタルカップ」が実際に開催されたのは翌1981年2月11日。

by KEGEN PRESS編集部
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