日本サッカー幕開けの歴史とJFA創立100周年(2/2)
これ受けて、イングランドのサッカー協会「FA(フットボール・アソシエーション)」は、1919(大正8)年3月にイギリス大使館を通じてシルバーカップ(銀杯)を日本へ贈った。当時、FAはオーストラリアや南アフリカ、ニュージーランドなどのイギリス領の各協会にシルバーカップを寄贈していたのである。
日本は英領ではないが、1902年に日英同盟を結んだ間柄であった。また開国以来、イギリス人によってフットボールが広められた国でもある。
FAから贈られたシルバーカップは、当時大日本体育協会会長だった嘉納治五郎と東京高等師範の内野台嶺(たいれい)が受け取った。そしてこの出来事が、国内サッカーを統括する組織の発足と、シルバーカップをかけた全国大会の開催へと向かわせた。
■1921年、JFAの前身「大日本蹴球協会」が発足
嘉納は当時、「イギリスから贈られたシルバーカップを受け入れる協会が日本にはない。この際、すぐに設立せよ」と内野に指示したという。内野はイギリス大使館のウィリアム・ヘーグ(参事官)の協力を得ながら組織作りを進めた。
1921年9月10日、大日本蹴球協会は発足した。
第1回理事会が同日に開かれ、協会成立を発表する具体案や「全国優勝競技大会」(同年11月に開催)の概要などを確認。9月16日に協会事務局で発表会が行われたという。初代会長は嘉納の信頼も厚い、大日本体育協会の理事、今村次吉が就任した。
こうして100年の歴史がスタートし、大日本蹴球協会が発足。以後、大日本体育会・蹴球部会(1942年)、日本蹴球協会(1947年)、日本サッカー協会(1974年)と名称を変えて現在に至る。
また、協会発足と同時に立ち上げた全国優勝競技大会はその後、「全日本蹴球選手権大会」の改称を経て、現在の「天皇杯サッカー全日本選手権大会」となっている。
現在は「2代目」。知られざるFA銀杯の秘話
1919年にイギリスのサッカー協会(FA)から寄贈されたシルバーカップ(銀杯)は、実は現在日本サッカー協会(JFA)が所有するものとは違う。現在のものは、2011年に再び寄贈された「2代目」である。どういうことか? そこにはちょっとした秘話がある。
太平洋戦争(第二次世界大戦)末期、金属が不足していた日本は、「供出」と称する強制的な金属製品の回収を行った。もちろん軍事目的である。それにより1945年、FA寄贈のシルバーカップは政府へ提供されてしまったのだった。
時は流れ、JFAは2011年に創立90周年を記念してシルバーカップの復刻制作を計画した。当時の小倉純二会長がFAを訪問し、過去の事情を謝罪、復刻版の制作許可を申し出た。すると、FAのデービッド・バーンスタイン会長(当時)は「そんな事情があったのか…」と理解を示し、FA側が制作し再び寄贈すると伝えた。
2011年8月、新しいシルバーカップはイギリスサッカーの聖地「ウェンブリー・スタジアム」で小倉会長に手渡された。
バーンスタイン会長は「かつてのシルバーカップは日本サッカー協会設立のきっかけとなっただけでなく、FAとの長く有益な関係をスタートさせている。ピッチの内外を問わず、これからもFAとJFAの継続的な友情関係を願う」と述べた。
こうして66年ぶりにFAシルバーカップは復活した。その後は毎年、天皇杯の優勝チームに贈られている。
(了)