カルチャー

サッカーメディアは「現地読み」の動き ― 韓国、中国の “人名表記問題”

アジアカップ2024_中国代表メンバー記事
サッカーダイジェスト2024年2月号「アジアカップ選手名鑑」内の中国代表紹介ページ。選手名は「現地読み」のカタカナ表記だった

韓国人名は「現地読み」が一般化 かつては「日本語読み」

 以前、サッカージャーナリストの後藤健生さんが、自身の連載記事の中で日本と韓国における「人名表記問題」にふれていた。これは日本で韓国人の名前を伝える場合にどう表記するか、という問題のことだ。

 記事の中で後藤さんは、川崎フロンターレのGKチョン・ソンリョンを例にあげた。朝日新聞などの新聞社が「鄭成龍」と表記しているのに対し、Jリーグの公式サイトやスポーツ紙、サッカー専門誌は「チョン・ソンリョン」とカタカナで表記している、と。後藤さんは「カタカナで書くのが流行っている(?)ようですね」と述べていた。

 人名表記問題といっても、この問題には「漢字で表記するか、しないか」だけでなく、例えばテレビやラジオなどで「どう読み上げるか」という論点も含んでいる。つまり、漢字の「日本語読み」である「てい・せいりゅう」と読むか、それとも韓国語の正しい読み方、いわゆる「現地読み」の「チョン・ソンリョン」と読むか、である。

 いまの日本では韓国人名は「現地読み」が一般化している。現韓国大統領は「ユン・ソンニョル(尹錫悦)」と呼ばれており、韓国サッカーの至宝イ・ガンイン(李康仁)を「り・こうじん」と「日本語読み」するメディアはまずない。「てい・せいりゅう」と呼ぶ川崎サポーターもいないだろう。

 詳しくは後述するが、かつて韓国人名は「日本語読み」されていた。だが、ある出来事をきっかけに変わった。表記は「尹錫悦(ユン・ソンニョル)」と漢字併記が混在するものの、呼称は「現地読み」が当たり前になっている。

中国人名は「日本語読み」が主流 近年は変化がみられる

 同じ東アジアで漢字を共有する「中国」との間にも「人名表記問題」は存在する。私はかつて中国に留学したことがあるので、この問題には以前から関心があった。

 中国人名はというと、漢字の「日本語読み」が主流だ。ご存知のとおり現国家主席の習近平氏はテレビなどでは「しゅう・きんぺい」と呼ばれ、国民の私たちもそう呼ぶ。

 「主流」といったのは例外があるからだ。例えば、映画監督の「チャン・イーモウ(張芸謀)」や俳優の「チャン・ツィイー(章子怡)」は「現地読み」が一般化しつつある。きっと国際的な認知度が影響しているのだろう。

 一方、表記については近年、興味深い変化がみられている。

 NHKや毎日新聞などは「習近平」と漢字表記のみだが、朝日新聞はときに「シーチンピン」とカタカナで「現地読み」のルビをふる。読売新聞や日本経済新聞も同様にときにルビをふるが「シー・ジンピン」だ。朝日新聞のルビと若干違うのである(分かりにくいが、「ジ」と「チ」の違い)。

 朝日新聞などがルビをふるのは特定の(わりと著名な)中国人だけだ。それでも「日本語読み」が主流の中、変化が起きていることに注目したい。つまり、中国人名の表記はメディアによってバラバラで統一されていないのが現状である。

 ちなみにサッカー報道はどうか。

 例えばワールドカップ2022アジア最終予選での日本対中国戦。当時の中国代表の主将「呉曦」について、中継したテレビ朝日のアナウンサーは「ご・ぎ」と呼んだが、同じ試合を配信したDAZNの実況は「ウー・シー」と「現地読み」で伝えていた。日本サッカー協会の公式サイトはというと、漢字と「現地読み」を併記し、「呉 曦(ウー・シー)」と掲載した。

 サッカーやスポーツに特化したメディアの間では、選手名の現地読みが浸透しつつあるようだ。

戦後、紆余曲折があった「人名表記問題」の歴史

 ここで「人名表記問題」の歴史について少しふれておきたい。

 「NHK放送用語委員会」によると(*)、戦前の日本では、韓国(朝鮮)や中国の「人名」「地名」は漢字で表記され、「日本語読み」するのが一般的だったという。1902(明治35)年に当時の文部省が定めたルールがあったためだ。

 ところが、戦後になると「現地読み」をカタカナで表記する動きがあり、NHKなどの報道各社はそれにならった。これを受け、政府の諮問機関である「国語審議会」は意見をまとめ、1949(昭和24)年に文部大臣に答申した。

 しかし結局のところ、「現地読み」のカタカナ表記は定着しなかったという。明確な理由は分からないが、読者・視聴者の反対もあったようだ。報道各社は相次いで「現地読み」をやめた。NHKも1953年に従来の「日本語読み」の漢字表記に戻し、現在に至る。

東アジア地図
『高等地図帳』(二宮書店)の東アジアのページ。中国の地名は「現地読み」のカタカナと漢字が併記されている

 余談になるが、中学や高校時代に教科書や地図帳の中国の地名が、「現地読み」のカタカナ表記で気になったことはないだろうか。

 教科書・地図帳に限ってなぜ中国の地名は「現地読み」表記なのか。これには前述の国語審議会の答申を受け、1959年に文部省が刊行した『地名の呼び方と書き方<社会科手びき書>』で指南されたことが影響している。

 以後、学校教育における中国の地名の「現地読み」表記が定着した。

1984年の大統領来日で韓国人名は「現地読み」に変わった

 韓国の人名・地名が「現地読み」されるようになったきっかけの出来事がある。

 1984年9月のチョン・ドゥファン(全斗煥)韓国大統領の来日だ。1948年の韓国建国以来、大統領が日本を公式訪問するのはこれが初めてだった。

 来日の2カ月前、当時の安倍晋太郎・外相は「韓国人、中国人の名前には『現地読み』を使い、漢字表記にはカタカナのルビを付けるように」と外務省に指示を出した。背景には韓国政府からの要請があった。

 これを受け、日本のメディアは韓国人名・地名の「現地読み」を始めた。NHKは「チョンドゥホアン、全斗煥大統領」と表記したという。

 この日本政府の対応は「相互主義」の考えによるものだった。

 ここでいう「相互主義」とは、「同じ漢字を使用する国が、それぞれの国の読みに合わせて相手の国の地名・人名を表記したり読んだりすること」(NHK放送用語委員会)である。

 1984年当時、韓国はすでに日本人の名前を「現地読み」しており、中曽根康弘首相を「ナカソネ・ヤスヒロ」と呼んでいた。よって、韓国政府が「現地読み」を要請するのは当然であり、「相互主義」の観点から日本もそれを受け入れたのである。

 一方、このとき中国人名の「現地読み」は見送られた。

by 北 コウタ
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