女子サッカーの歴史となでしこ ― イギリスから世界に普及(2/2)
日本の女子サッカーの起源は? 最古の資料は1916年の写真
日本の女子サッカーの起源はいつなのか。
日本サッカー協会(JFA)は2021年5月、新たな調査結果を発表した。これまで最古とされていた香川県丸亀高等女学校でサッカーが行われている写真(1919年撮影、絵葉書に掲載)よりも3年古い、1916(大正5)年に撮影された大分県立大分高等女学校における女子サッカーの写真が見つかったという。
1916年といえば、第一次世界大戦の最中。前回の記事で伝えた、イギリスの先駆けクラブ「ディック・カー・レディースFC」が発足する1年前のことだ。
当時の日本は、教員の養成機関である「高等師範学校」(筑波大学の前身)の「蹴球部」でサッカーを学んだ学生が卒業後に各地の師範学校へ赴任したことで、サッカーが全国的に広まりつつあったころである。(日本サッカー幕開けの歴史とJFA創立100周年(1/2)に詳細)
残された資料によって、戦前にも女子サッカーが行われていたことが分かった。しかし、イギリスのように一時的な盛り上がりを見せたわけではない。1921年に「大日本蹴球協会」(JFAの前身)が発足するが、そこは「男尊女卑」が伝統の日本社会。ヨーロッパ同様にサッカーは基本男性中心のスポーツだった。
それどころか、日本はこの後、戦中、敗戦、戦後の「混迷・混乱」の時代に入る。FIFAの加盟(1929年)後に除名と再加盟(1950年)を繰り返すなど、その影響は日本サッカー全体に及んだ。
1970年代に女子クラブ増加、JFA傘下に「日本女子サッカー連盟」設立
日本において、サッカーをしたい女性が集まり、チームを作って活動するようになるのは、「ウーマン・リブ」運動が世界中に広がっていく時期と重なる。
最初の女子サッカーチームとして知られるのが、1966年に兵庫県内にできた神戸市・福住小学校の生徒による「福住女子サッカースポーツ少年団」と西宮市の「神戸女学院中等部」だ。両チームは、翌1967年3月に神戸市内で開催された「第1回神戸サッカーカーニバル」で対戦した。これが日本サッカー史上初の女子の試合とされている。主審と副審の3人も女性が務めたという。
1970年代に入ると、関東や関西を中心に女性に特化したサッカークラブが誕生。地域レベルでリーグ戦も行われるようになった。このころは、高度経済成長期を経て、日本人のライフスタイルが劇的に変わっていく時期でもある。
そして1979年、JFAの傘下に「日本女子サッカー連盟」が設立。同年のFIFAによる加盟国に対する女子サッカー普及要請を受けていのことだ。女子クラブの登録が始まり(初年度は52チーム、919人が登録)、女子サッカーの普及活動は本格化した。翌1980年には「第1回全日本女子サッカー選手権大会」(現在の皇后杯)を開催。女子クラブ数はさらに増えていった。