訪れてみたい、“サッカー侍”が戦った街 ― ケルン(ドイツ)
日本サッカーの成長とともに、いまや日本人選手の海外移籍は後をたたない。それはヨーロッパのみならず、世界各国に及んでいる。そんな“サッカー侍”たちが、かつて戦った街がある。いま戦っている街がある。それだけで、「いつか訪れてみたい…」。そう思わせる魅力がある。 |
「欧州日本人プロ第1号」の奥寺康彦が1977年に渡った
ドイツ西部ノルトライン=ヴェストファーレン州にあるケルン。日本サッカー界のレジェンド、奥寺康彦(現・横浜FC取締役会長)が「欧州初の日本人プロサッカー選手」として戦った街だ。奥寺は1977年に古豪「1.FCケルン」(以下、FCケルン)に加入。1980年まで約3シーズンを過ごした。
2010年以降は、日本人選手の評価の高まりとともに、槙野智章(2011―2012年)、大迫勇也(2014―2018年)、長澤和輝(2014―2016年)がFCケルンのユニフォームを着てピッチに立った。ケルンは日本人にゆかりの深い街としても知られるようになった。
古代ローマ時代の植民都市、シンボルは世界遺産「ケルン大聖堂」
ケルンの歴史は古代ローマ時代までさかのぼる。ローマ帝国のコローニア(植民都市)として建設され、ライン川沿いに位置するため、東西ヨーロッパを結ぶ交通の要衝として発展した。
中世は商業都市として栄えたケルンだが、近代に入ると第二次世界大戦の戦火で市街のほとんどが破壊されてしまう。現在の街並みは戦後の経済復興によって築かれたものだ。総人口約108万人は、ベルリン、ハンブルク、ミュンヘンに次いでドイツで4番目に多い(2020年時点)。
ケルン中央駅を出ると、圧倒的な存在感で目に入るのが世界遺産の「ケルン大聖堂」。この大聖堂を一目見るために世界中から観光客が集まる。
正式名称は「ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂」。現在の大聖堂は三代目になる。1248年に建築が始まり、たび重なる中断を経て1880年に完成した。ゴシック様式の建築物としては世界最大で、訪れた観光客は想像以上の大きさに驚く。記念写真を撮ろうとしても、ある程度離れなければ全体が収まらないほどだ。
第二次世界大戦で市街が壊滅的な被害を受ける中、ケルン大聖堂だけは奇跡的に全壊を免れ、絶望の淵に立たされた市民に希望を与えたという。街のシンボルとして、人々の生活を見守り続けている。
オー・デ・コロン発祥の地、伝統を守るケルシュビール
ケルンを英語で表記すると「Cologne」。これは、前述の古代ローマ時代の植民都市を意味する「コローニア(colonia)」に由来する。
香水の一種「オー・デ・コロン(eau de Cologne)」(フランス語)は、直訳すると「ケルンの水」。実は、オー・デ・コロンは1709年に世界で最初にケルンでつくられ、それをフランス統治時代にナポレオンが持ち帰り、広まったとされている。
1792年に製造されたブランド「4711」は、現存する最古のオー・デ・コロンとして知られ、明治時代には日本にも輸入され広く使われた。ケルンにある「4711」本店は観光名所にもなっている。