カルチャー

訪れてみたい、“サッカー侍”が戦った街 ― ジェノバ(イタリア)

1924年にセリエA優勝したジェノア
1924年、最後にセリエAを優勝したときのジェノアの選手たち

 ジェノアは、在外イギリス人によって1893年に創立された歴史の古いクラブ。創設時は陸上競技とクリケットのみの活動だったが、1897年にサッカー部門が開設。同時にイタリア人の加入も認められた。当時はジェノアのほかにトリノに2つのクラブが存在するのみで、イタリア最古のサッカークラブとされている。

 イタリアサッカーの黎明期において圧倒的な強さを誇ったジェノアは、1898年から1924年までの間に2度の3連覇を含む9回のセリエA優勝を記録している。コッパ・イタリア(カップ戦)も1度制した(1937-1938年)。しかし、それ以来優勝からは長く遠ざかり、最後のセリエA優勝からはまもなく1世紀が経とうとしている。

 一方のサンプドリアは、戦後の1946年に創設されたイタリアでは最も新しいクラブの一つだ。発足の経緯は、1926年にジェノバ市に統合された工業地域にあったクラブ「サンピエルダレネーゼ」(「サンプ」)と、もともと市内にあった1895年発足のクラブ「アンドレア・ドーリア」(「ドリア」)が合併して「サンプドリア」が誕生した。

 1980年代半ば、サンプドリアは元イタリア代表の10番で現在イタリア代表監督を務めるロベルト・マンチーニ氏や、元ブラジル代表でかつて鹿島アントラーズで監督を務めたトニーニョ・セレーゾ氏らの活躍で勢いをつける。1984年から1994年までの10年間でセリエA優勝1回、コッパ・イタリア優勝4回を成し遂げ、黄金期を築いている。しかし、それ以来優勝はない。

「カルチョ」の歴史を感じさせる「スタディオ・ルイジ・フェッラーリス」

 その両クラブが激突する「灯台ダービー」の舞台が「スタディオ・ルイジ・フェッラーリス」だ。

 ジェノバ市内のマラッシ地区にあるため、もとは「スタディオ・マラッシ」という名称だったが、第1次世界大戦で戦死したジェノアの元主将ルイジ・フェッラーリスをたたえて、1933年に彼の名を取って改称された。ただ、地元の住民は正式名称を使わずに「マラッシ」と呼ぶ。

スタディオ・ルイジ・フェッラーリス
灯台ダービーの舞台となる スタディオ・ルイジ・フェッラーリス

 1911年に完成のイタリアでも最も古いスタジアムで、収容人数は約36000人。イギリス人が創設したクラブの本拠地として造られただけあり、陸上トラックを含む複合競技場が多いイタリアの中では珍しいイギリス式のサッカー専用スタジアムとなっている。1934年と1990年のW杯イタリア大会では試合が行われた。「カルチョ」の歴史を感じさせる外観はジェノバの街並みに自然と溶け込み、視覚的な魅力も引き出している。

 ダービー当日、街はジェノア派とサンプドリア派に分断される。前者は市中心部に多く住み、後者は周辺地域に多いとされている。歴史の古いクラブと比較的新しいクラブ。こうした関係性も、両者の強いライバル意識を焚きつける要因だ。両サポーターの興奮とともに、街はお祭り騒ぎになるという。

 実は、三浦知良がセリエAで挙げた1得点は「灯台ダービー」でのことだ。試合は2対3でサンプドリアに敗れたものの、カズの先制弾はジェノアサポーターの心をわしづかみにした。そのため、ジェノバではいまでもカズのフルネームを覚えている人は少なくないという。

 カズが過ごし、戦った街―。それだけでジェノバには訪れたい魅力がある。

(了)


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by KEGEN PRESS編集部
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