カルチャー

訪れてみたい、“サッカー侍”が戦った街 ― パルマ・デ・マジョルカ(スペイン)

1916年創設のRCDマジョルカ 初期のクラブ名は「アルフォンソ13世」

創設当初のRCDマジョルカ
1916年当時のRCDマジョルカ

 パルマに拠点を置くサッカークラブ「RCDマジョルカ」は1916年に創設された。略さなければ、「レアル・クルブ・デポルティーボ・マヨルカS.A.D.(Real Club Deportivo Mallorca,S.A.D.)」と、けっこう長い。

 創設当初のクラブ名は、なんと「レアル・ソシエダ・アルフォンソ13世」。サッカー好きの当時のスペイン国王、アルフォンソ13世にちなんで名付けられた。1931年、共和制国家の樹立により「クルブ・デポルティーボ・マヨルカ」に改名されたが、戦後の1949-50年シーズン中に再び「レアル」の称号を取り戻し、現在のクラブ名に。スペインには「レアル」を冠したクラブ名が多いが、どれも王室との関係に影響する。

 リーガエスパニョーラ(国内リーグ)に参入したのは1931年。3部からスタートし、初の1部昇格は1960-61年シーズン。だが、1980年代半ばごろまでは2部と3部が主戦場だった。

 100年以上あるクラブの歴史の中で、いまだ国内リーグ1部を制したことはない。1998-99年、2000-01年の両シーズンの3位が最高だ。このころはクラブ史における“絶頂期”と評され、コパ・デル・レイ(スペイン最古のカップ戦。通称「国王杯」)の優勝(2002-03年)や同準優勝(1997-98年)、国際大会であるUEFAカップウィナーズカップの準優勝(1998-99年)などがある。

マジョルカの久保建英
マジョルカでプレーする久保建英 (source: @RCD_Mallorca on twitter)

 2000年に加入し、在籍中に公式戦通算70得点をあげた元カメルーン代表のサミュエル・エトーは、マジョルカでの活躍が認められ2004年にFCバルセロナに移籍した。

 “絶頂期” 後は1部に定着したが、2013年に17シーズンぶりに2部に降格。6年かけて2019年に1部に復帰するも、翌年すぐに2部降格。翌々年(2021年)に1部に昇格と不安定なチーム状況が続いている。現状の課題は「1部定着」だろう。なお、この2度の1部復帰のタイミングに久保建英がレアル・マドリードから期限付きで加入している。

クラブの愛称は「朱色」を意味する「ロス・ベルメロネス」

 赤いシャツに黒いパンツとストッキングが伝統カラー。発足当初は全身が黒ずくめだったが、1922年ごろに創設者のアドルフォ・バスケス氏が現在のスタイルに変更。スペイン代表のチームカラーを意識したという。クラブの愛称は「朱色」を意味する「ロス・ベルメロネス(Los Bermellones)」だ。

 ホームスタジアムは、パルマ中心部から北西約3キロの場所にある「エスタディ・デ・ソン・モイシュ(Estadi de Son Moix)」。パルマで開催された1999年の夏季ユニバーシアード大会に合わせて建設された。完成当時、クラブは50年間の賃借契約を市議会と結んでいる。

 サッカー専用ではなく、陸上トラックがあるため、試合の際はゴールの真裏に仮設スタンドを用意。収容人数は約23000人だが、2013年にワールドカップ予選のスペイン代表戦が行われたこともある。

ソンモイシュ・スタジアム
1999年完成のエスタディ・デ・ソン・モイシュ (source: espanaestadios.com)
ソンモイシュ・スタジアム
ゴール裏に用意された仮設スタンド

 同じパルマを本拠地とする1920年創設の「CDアトレティコ・バレアレス」とは、1920年代から激しいライバル関係にある。両者の対決は「パルマ・ダービー」と呼ばれる。

 リーグ戦での対決は、1979-80年シーズンまで60試合を超えるが、それ以後はCDアトレティコ・バレアレスが3部と4部に定着したため極端に減り、マジョルカが3部に降格した2017-18年シーズンの2試合のみ。そのときは1勝1分けでマジョルカが勝ち越した。

■民間伝承から生まれたマスコットの「ディモニオ」

 最後に、愛くるしい?クラブのマスコット「ディモニオ(demonio)」を紹介したい。

マジョルカのマスコット
パルマ市内の病院を訪れ、患者にクリスマス・プレゼントを贈るディモニオ。2021年12月 (source: @RCD_Mallorca on twitter)

 マジョルカ島やバルセロナを中心とするカタルーニャ地方には、「コレフォック」と呼ばれる伝統の「火祭り」がある。悪魔に扮した人たちが、花火やたいまつをかざして練り歩く。「悪魔が、悪霊を追い払う」という民間伝承にちなんだものだ。

 ディモニオはこうした伝統文化から生まれた。ときにスタジアムを離れ、市民やサポーターと積極的に交流する「愛される存在」だ。

(了)


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by KEGEN PRESS編集部
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