訪れてみたい、“サッカー侍”が戦った街 ― グラスゴー(スコットランド)
敵対するセルティックとレンジャーズ。優勝回数はほぼ互角
互いにグラスゴーを本拠地とする1888年創設のセルティックFC(The Celtic Football Club)と1872年創設のレンジャーズFC(Rangers Football Club)は、宗教、民族、政治などを背景に創立当初から長くライバル関係にあり、敵対する。
所属のスコティッシュ・プレミアシップでは双璧をなし、前身のリーグを含め、これまでの優勝回数はセルティックが52回、レンジャーズが55回とほぼ互角だ(2022年10月時点)。
「オールドファーム(Old Firm)」と呼ばれるダービーマッチは、意地とプライドがぶつかり合う激しい試合になる。サポーター同士の衝突で負傷者が出ることはよくあり、過去には死者が出たこともあるほどだ。
ライバル関係の背景にある民族や宗教の問題
ライバル関係にあるセルティックとレンジャーズ。対立の背景にある民族や宗教とな何なのか?
それは、セルティックのエンブレムを見れば分かる。アイルランド共和国の国花であるシャムロック(四つ葉のクローバー)が描かれており、そのルーツを強調しているからだ。
クラブは、グラスゴーのイーストエンドに住むアイルランド系移民の子どもたちの貧困問題を支援する目的で設立された。ケルト人の文化を共有することで知られるアイルランドだが、セルティックの名称「Celtic=ケルティック」もそれに由来している。
そのため、アイルランドにはセルティックの熱狂的なサポーターが多数存在する。しかし、プロテスタント系の選手や監督が過去に在籍したことがない、というわけではない。
アイルランド共和国といえば、かつてイギリス王国に併合され、その後独立戦争を経て1949年に分離独立をはたした。内戦の歴史が残る島の北部地域はイギリス本土からのプロテスタント系の移民が多く、現在もイギリス領だ。
一方のレンジャーズは、イギリス本土で多数を占めるプロテスタント系の住民が設立したクラブ。
16世紀にスコットランドで起こった宗教改革によって多数派となった長老派(プロテスタント系)の支持層が多いとされる。
だから、カトリック系のセルティックには古くから敵対心があるのだ。
一触即発のオールドファームは、ユニオン・ジャック(英国旗)とアイルランド国旗を掲げる双方のサポーターが入り混じる。スタジアムはまるで“民族代理戦争”の様相を呈し、緊迫感がただよう。
「世界最高の雰囲気」 称賛の声やまないセルティック・パーク
セルティックのホームスタジアム「セルティック・パーク(Celtic Park)」は市郊外のイーストエンドにある。「パラダイス(Paradise)」の愛称で親しまれる。
1892年完成で古い歴史をもつ。収容人数は約6万人だが、その9割以上はシーズンチケットホルダーで埋まるため、チケットの入手は極めて困難だという。
特筆すべきは、敵地として訪れピッチに立ったほとんどの一流選手が、セルティックサポーターによってつくり出される圧巻の雰囲気と迫力に度肝を抜かれること。
称賛の声はやまない。
元バルセロナFCのアンドレス・イニエスタは、「世界で最高の雰囲気だ。セルティック・パークで何度かプレーできたのは幸せなことだった」と振り返る。
一方、セルティック・パークからクライド川を挟んで車で10分ほどの場所にあるのが、レンジャーズのホームスタジアム「アイブロックス・スタジアム(Ibrox Stadium)」だ。
1899年に完成。収容人数は約5万人だが、1939年に行われたセルティックとのオールドファームでは、11万8567人が来場した記録が残る。
かつて、「アイブロックスの惨事」と呼ばれる歴史的な悲劇が2度起きており、1902年4月5日にはスタンドの床の崩落により25人が、1971年1月2日には試合終了後に出口に向かう観客が将棋倒しとなって66人が、それぞれ命を落とした。
美しい赤レンガの外観が印象的なメインスタンドは、「イギリス指定建造物」として登録される歴史遺産でもある。
スコットランドサッカーの聖地。国立博物館も訪れたい
世界的に有名な2大クラブが拠点にするグラスゴーは、スコットランドサッカーの聖地。代表チームのホームスタジアムであり国立競技場の「ハムデン・パーク」もここにある。
スタジアム内には、スコットランドサッカーの歴史を学べる国立のサッカー博物館があり、2000点を超える貴重な資料が収蔵されている。
サッカー史上初の国際親善試合は、1872年11月にグラスゴーで行われたスコットランド対イングランドの試合(結果は0-0の引き分け)だが、試合当日のチケットなどが展示されている。
また、スコットランドサッカー殿堂のレジェンドについての資料も充実。必見のスポットだ。
(了)