高校サッカー

ついに100回!「全国高校サッカー選手権大会」の歴史をたどる(2/2)

高校サッカー100回マーク
(source: jfa.jp

民放テレビが参入 高校サッカーの 「全国放送」が始まった

 “高校総体問題” で「選手権」が揺れていたころ、国内のサッカー人気は上昇傾向にあった。「日本サッカーの父」と呼ばれたデットマール・クラマー氏が指導した日本代表が、1964年の東京オリンピックで躍進をとげると、翌1965年に現在のJリーグの基礎となった「日本サッカーリーグ」が発足。1968年のメキシコオリンピックの銅メダル獲得へと続いた。

 こうした中、高校サッカーに目をつけたのが民放の「日本テレビ」だった。プロ野球に次ぐ将来性のあるスポーツとしてサッカーに注目。読売新聞などと協力して、1969年にプロ志向の「読売サッカークラブ」を発足させていた。「選手権」は青少年の育成にも役立つと考え、放送権取得に動いた。

 それまではNHKが決勝戦のみを中継していた。日本テレビの参入により、1971年1月の昭和45年度(第49回)大会からテレビ事業がスタート(系列14局で8試合を放送)。翌年度は系列局を中心に全国の民放が後援し、地方大会も中継した。ついに、高校サッカーの「全国放送」が始まったのである。

高校サッカーの広告スポンサーの看板
テレビ放送の開始当初はスポンサーの看板に対する批判もあったという(source: getty images)

 反響は大きく、選手の意欲や地元住民の協力姿勢は一変した。それだけではなく、商業スポンサーがつく好循環も生まれた。財政難だった日本蹴球協会にとってはまさに「渡りに船」。推薦制度を廃止し、地方大会を復活。減らしていた出場校の数を徐々に戻していった。

 当初は「高校サッカーの商業化」への懸念や批判の声もあったという。しかし、高校スポーツの良さを存分に伝え、「選手権」の存在を全国に知らしめた意味では、その効果は絶大だった。

首都圏移転で“聖地”「国立」は満員 人気に火がつき 「黄金期」へ

 テレビ放送が成功すると、開催地の「首都圏移転」案が出され、高校サッカーは大きな選択を迫られた。長く大会を支えてきた関西の関係者にとっては受け入れがたく、強い反発があった。それでも最後は、「高校サッカーの変化が、日本サッカーの変化と発展につながる」との考えで、英断が下された。

 最初の首都圏開催は1977年1月の昭和51年度(第55回)大会。“聖地” 国立競技場での決勝戦は満員となり、移転の成功を証明した。日本テレビや日本サッカー協会(1974年に改称)、高体連(1970年に主催に復帰)の「お膝元」で、組織力を活かせたことが大きかった。また、民放テレビのPR活動も功を奏した。翌年から全国の民放41社が共催。人気に火がついた高校サッカーは「黄金期」へ向かう。

 文部省が年2回の全国大会を認め、1980年度大会から「昭和55年度 第59回」と表記。「回数」が復活した。翌1981年は60回目の「記念大会」として、「各道府県1代表、東京2代表」の48校出場で初開催。大会の成功を受け、第62回大会(1983年)から全都道府県48校出場が通例となり、現在に至る。

 冬の風物詩としてサッカーファンが毎年楽しみに開幕を待つ「選手権」。節目を迎えた第100回大会から、改修された「新・国立競技場」が再び “聖地” として復活する。

伝統のテーマソング「ふり向くな君は美しい」はこうして生まれた

 「高校サッカー」といってまず思いつくのは、人がボールを蹴り上げているロゴマークと、「うつ向くなよ ふり向くなよ~」でおなじみの昭和を感じさせる伝統のテーマソングだろう。一昔前に活躍した「シュウタロウ」はオジサン世代には懐かしいマスコットだ。

ふり向くな君は美しいのCDジャケット
「ふり向くな君は美しい」のCDジャケット。「シュウタロウ」とロゴマークが描かれている

 ロゴマークや歌、マスコット、キャッチフレーズなど、高校スポーツの全国大会がここまでのPR活動を展開するのは過去に例がなく、時代を先取りしていた。ちなみに、ロゴマークをつくったのは、当時の日本テレビ・デザイン部長で、のちに東京藝術大学教授を務めた内山昭太郎氏だという。

 一方、伝統のテーマソング「ふり向くな君は美しい」(作詞:阿久 悠、作曲:三木 たかし)は、1976年度大会から開催地が首都圏に移転するのに合わせてつくられた。当時、日本テレビ・スポーツ局のディレクターだった坂田信久氏(読売サッカークラブの発足に尽力、元東京ヴェルディ1969社長)は、この歌の制作秘話を次のように明かしている。

ふり向くな君は美しいの歌詞

 作詞家の阿久悠氏に詩を依頼した坂田氏は、阿久氏からこんなことを聞かれた。「坂田さん、サッカーの中継のディレクターで一番大切なことは何ですか」

 坂田氏は何のことだかよく分からず、次のような話をしたという。スポーツ中継は必ず勝敗があり、大会で優勝するチーム以外はすべてが敗戦を経験するもの。勝者は何を撮ってもいい画が撮れる。しかし、敗者のいい画をいかに撮るかは、ディレクターのセンスが問われる、と。

 こうして生まれたのが、「ふり向くな君は美しい」だという。なるほど、確かにこの歌は「敗れ去る者たち」へのエールの言葉がひたすらつづられている。

 どんなスポーツにも当てはまる、名曲だ。

(了)

by KEGEN PRESS編集部
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