日本サッカー

身近になったレフェリーの存在。いっそう求められる「リスペクト」の心

ノーレフェリーノーゲーム

プロ・レフェリーの勇退報道に多くのサポーターが反応した

 Jリーグで長く笛を吹いてきたプロフェッショナルレフェリーの家本政明氏が、2021年シーズン限りで国内トップリーグを担当する審判員を退くと発表した。すると、多くの選手やサポーターがSNSなどを通じて感謝や労いの言葉を贈った。

 微笑ましいやり取りが目に見えるようになったのもSNSの普及のおかげだ。最近はレフェリーの存在がより身近になったと感じる。

 日本サッカーがプロ化して30年近くが経ち、Jリーグは3部(J3)までできた。地域リーグを含めると底辺は着実に広がりをみせる。単純にサッカーの試合を観る人の数は増えている。

 昔は、ワールドカップで主審を務めた日本人レフェリーの名前をチラッと知っているぐらいだった。でもいまは、プロのレフェリーもいる。インターネットメディアが発達し、試合の映像や担当レフェリーの名前はすぐに確認できる。それだけでなく、試合前の準備や日常のトレーニング、試合後の解説など、レフェリーのパーソナリティを垣間見れるようになった。

 家本氏の勇退報道に多くの人が反応したことは、レフェリーが身近な存在になっていることを証明している。

深刻さ増すSNSのレフェリー批判 暴言はJリーグ以外でも日常化

 一方で、判定に納得のいかないサポーターによる、SNSを通じたレフェリーへの誹謗(ひぼう)中傷、バッシングは深刻さを増しているという。身近になったゆえの弊害かもしれない。

 日本サッカー協会(JFA)の機関紙によると、最近ではJリーグ以外の試合でも、チームの監督やコーチ、応援に来た保護者などによるレフェリーへの暴言が日常的に見られるという。保護者が暴言を口にするなんて…。驚くかぎりだ。

プロレフェリーの家本氏
勇退する家本レフェリー(右2)も過去にバッシング被害を経験している(source: getty images)

 私はシニアサッカーを続けているが、草サッカーレベルでも、レフェリーに対して心無い言葉を口にする人がけっこういる。

 草サッカーでは、それぞれのチームの審判資格取得者が、自身の試合がない時間に、他の試合の主審や副審を担当することが多い。私も、4級審判員資格(講義と実技、筆記試験を受けて一日で取得できる最下層の等級)を持っていて、たまに副審をすることがある。草サッカーでは、各チームが協力して試合を運営する。

 専門のレフェリーではないため、曖昧なジャッジやミスがときに起こる。そこを理解できていない人は、暴言を吐く。専門ではないという引け目があるからか、言われるがまま沈黙を貫くレフェリーもいれば、圧力に押され判定を取り消すレフェリーもいる。日常的に暴言を吐く人は、うまくいったと、また繰り返す。こういう人は、明らかにレフェリーを見下していると感じる。

 副審でも、どちらのスローインかの判定に不服で、「ちゃんと見ろよ!」などと吐き捨てる人がやっぱりいる。得点に直結するオフサイドの判定になると、より激しくなる。私はメンタルが強いわけではないので、暴言で嫌な思いをするなら、正直レフェリーはやりたくはない! 誰だってそうだろう。

 だから、自分がプレーヤーのときは、絶対にレフェリーに文句は言わないと決めている。レフェリーを経験したことで、言われる辛さが分かったからだ。リスペクトの気持ちは自然に芽生えた。

 コロナ禍のJリーグは無観客試合が多く、不利な判定に激高する選手や監督の声がよく聞こえた。プロのレフェリーの精神面には本当に頭が下がる思いだった。私なら耐えられない…。

“レフェリーは頼んだ人” 「感謝」の気持ちで判定を尊重する

 JFAは現在「リスペクト宣言」を掲げ、「フェアプレー精神」を呼びかけてる。

 その中で示される一つが、レフェリーに敬意を払うこと。「審判は両チームがルールに従って公平に競技ができるために頼んだ人である。人間である以上ミスもするだろうが、最終判断を任せた人なのだから、審判を信頼し、その判断を尊重しなければならない」と訴えている。

 強調される「審判は~頼んだ人である」は、レフェリーの歴史に関係する。

 JFAの機関紙によると、サッカーが始まったばかりのころ、レフェリーはいなかった。その後、両チームに1人ずつ、反則があったかどうかを判定する「アンパイア」という人を置いた。

 それでも、やはり意見の食い違いはときに起こる。そうしたとき、判断を仰いだのが、観客席にいる最も見識のありそうな紳士だった。これがレフェリーの始まりだという。その紳士は黒いフロックコート(男性用礼装)を着ていたので、審判服の伝統色は黒になったそうだ。

1930年のレフェリーたち
1930年のW杯第1回ウルグアイ大会のレフェリーたち。その着こなしと見た目はまさに“紳士”だ(source: soccerballscollection.com)

 「referee」という言葉には、「問い合わせを受ける人」という意味もあるという。お願いして、判定してもらっているのだから、その決定は尊重されなければならない、というのが基本的な考えだ。

 勇退する家本レフェリーは、かつて自身の判定が物議を醸し、家族に被害が及ぶほどのバッシングを受けたことを明かしている。精神的に追い詰められたという。

 サッカーがスポーツである以上、勝ち負けがある。選手は勝利を目指して戦い、サポーターは勝利を願い応援する。だから、判定の一つ一つに熱くなる気持ちはあって当然だ。でも、大切なことは、選手もサポーターも、「サッカーはみんなでつくり、楽しむもの」と考えること。レフェリーがいるから、試合は成り立っている。

 No referee, no game! 感謝の気持ちが持てれば、もっとリスペクトできる。

(了)

by 北 コウタ
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