カルチャー

訪れてみたい、“サッカー侍”が戦った街 ― パルマ・デ・マジョルカ(スペイン)

パルマ・デ・マジョルカ
歴史都市であり、リゾート地であるパルマ・デ・マジョルカ(source: Ralf Roletschek,via Wikimedia Commons)
 日本サッカーの成長とともに、いまや日本人選手の海外移籍は後をたたない。それはヨーロッパのみならず、世界各国に及んでいる。そんな“サッカー侍”たちが、かつて戦った街がある。いま戦っている街がある。それだけで、「いつか訪れてみたい…」。そう思わせる魅力がある。

元日本代表FWの大久保嘉人が“成長のきっかけ”を得た街

 スペイン東部、バレアレス諸島州の州都パルマ・デ・マジョルカ。「マジョルカ」と聞けば、日本サッカーの至宝、久保建英を連想する人が圧倒的に多いだろう。だが、この街の “サッカー侍”の歴史は、J1リーグ歴代トップの通算191得点を誇る、元日本代表FW大久保嘉人から始まった。

マジョルカ時代の大久保嘉人
マジョルカ時代の大久保嘉人(source: @RCD_Mallorca on twitter)

 大久保は高校卒業後にセレッソ大阪に入団。4年目の2004年夏に出場したアテネオリンピックでの活躍がきっかけで、同年11月にRCDマジョルカへ期限付き移籍した。

 翌年1月、1得点1アシストで衝撃のデビュー。直後に負傷離脱するもシーズン終盤に得点やアシストをあげ、1部残留に貢献した。だが、翌シーズンは途中出場が増え、2得点のみ。在籍1年半。2006年6月にセレッソ大阪に戻った。

 公式戦出場40試合で6得点。望む結果は得られなかったが、自身のプレースタイルを見直す貴重な時間だったと大久保は振り返る。ベンチから戦況を見つめ、なぜ出られないのかを考えた。体格は小さい、足もそこまで速くはない。それまではとにかくドリブルにこだわっていたが、味方をうまく使って得点機会をつくろう、そう意識するようになったという。まさに晩年の大久保が、後輩たちに口を酸っぱくして常に伝えていたことだ。この街で “成長のきっかけ”を得たことが、J1通算191得点の偉業につながった。

 大久保がつくったパイプを活かし、その後マジョルカには家長昭博(2018年JリーグMVP)がセレッソ大阪から移籍。約1年半在籍した(2010年12月~2012年2月、2013年7月~2014年1月)。

地中海に浮かぶ「貿易拠点」 ローマやイスラムなど大国が常に争奪戦

パルマ・デ・マジョルカの地図
パルマ・デ・マジョルカは赤い★の地点

 マジョルカが地中海に浮かぶ「島」であることを知らない人はわりと多い。名称の由来は「大きいほう」を意味するラテン語の「maiorica」。バレアレス諸島最大の島だからだ(「小さいほう」に由来するメノルカ島も存在)。

 島の面積は約3640平方キロ。日本の沖縄本島の約3倍に相当し、そこに約870万人が住む。温暖な地中海性気候により、なんと年間300日ほどが晴天だという。「地中海の楽園」と呼ばれ、国内外から観光客が集まる。地域により発音が違うため、日本では「マヨルカ」と表記されることも。

 島の歴史は古く、紀元前8世紀にフェニキア人が入植。その後はローマ帝国やイスラム王朝、カトリック王国など様々な国によって支配された。13世紀に島を征服したアラゴン王国が、15世紀にカスティーリャ王国と統合し「スペイン王国」が誕生。以来、スペインの領土として現在に至る。

 地図を見て分かるように、マジョルカ島はスペイン本土、フランス、北アフリカのいずれからも近い。地中海貿易の拠点として栄えたわけだが、それゆえに大国による争奪戦が常に起こった。

古都「パルマ」は歴史都市であり、欧州有数のリゾート地

パルマのビーチ
スペイン王室のメンバーもバカンスに訪れる

 パルマ・デ・マジョルカ(以下、パルマ)は、マジョルカ島の南西部に位置する最大の都市だ。人口約40万人は国内8番目。首都マドリードから飛行機で約1時間半の距離にある。古代ローマに建設された歴史ある古都であるため、街は中世の面影を残す。一方、気候に恵まれ、紺碧の海に面したバルマはヨーロッパ有数のリゾート地でもある。スペイン王室のメンバーが毎年バカンスに訪れる。

 市街中心部は徒歩で回れるほど小規模にまとまっている。迷路のような石畳の旧市街をのんびり散策しながら、カフェや買い物を楽しむのもいい。一方、パルマの街を一望するなら、南西の郊外にある「ベルベル城」がおすすめだ。マジョルカ王の居城として14世紀に建てられた円形状の城で、監獄としても使われた。また、パルマ湾のビーチへ行くなら市内からバスで約30分で着く。

かつては城塞だった堅牢な「パルマ大聖堂」

マジョルカ島のパルマ大聖堂
堅牢なパルマ大聖堂はかつては城塞だった

 街のシンボルであるゴシック様式の「パルマ大聖堂」は一見教会とは思えない堅牢さだ。それもそのはず、大聖堂はかつての城壁の一部として建てられ、城塞としての役割も担った。

 13世紀に建築が始ったが、完成したのは1601年。400年近い時間を要した。20世紀の修復工事には、あのアントニ・ガウディも携わっており、壁画や中央祭壇の天蓋飾りは彼によるものだという。

「アロス・ブルッ」は“汚れたご飯”を意味する定番の郷土料理

 温暖なマジョルカ島。人々も温和でのんびりしているという。本土では廃れつつあるされる「シエスタ(昼休憩)」もしっかり残っているようだ。そんな地元の人々が愛する郷土料理を2つ紹介したい。

アロス・ブルッ
スペイン風雑炊のアロス・ブルッ

 「アロス・ブルッ(Arroz Brut)」は定番のマジョルカ料理。直訳すると「汚れたご飯」。スペイン風の肉入り雑炊といったところだ。

 鍋に、鶏肉やウサギの肉、旬の野菜、香辛料(シナモンやナツメグなど)を入れてご飯と煮込む。鶏とウサギは内蔵も加え、ご飯に色が付くことから「汚れたご飯」と呼ばれるようになった。季節ごとに食材が変わり、一年中作られる。マジョルカ時代の大久保嘉人も「うまい!」と語った絶品料理。米が主食の日本人は好みそうだ。

 渦巻き型の菓子パン「エンサイマーダ(ensaimada)」は、マジョルカを代表するソウルフード。直訳すると「豚のラードを練りこんだ」という意味だ。

ラードで焼いたエンサイマーダ

 その名の通り、小麦粉、卵、砂糖などをこねた生地にラードを塗って焼き上げるのが特徴。ラードが独特の風味と食感を作り出す。

 島では、貴重なたんぱく源として昔から豚の飼育が盛んだ。バターの代わりにラードが使われてきた。暮らしの知恵から生まれたエンサイマーダは、マジョルカの食生活に欠かせない。

by KEGEN PRESS編集部
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