訪れてみたい、“サッカー侍”が戦った街 ― マルセイユ(フランス)
地元民の誇りオリンピック・マルセイユ 仏で唯一、CL制覇を経験
地元民の誇り、オリンピック・マルセイユは1899年に創設された名門クラブだ。
この街が古代ギリシア人の入植によって築かれたことに敬意を表し、クラブ名に「オリンピック」が付けられた。
その前身は、ラグビーが中心の総合スポーツクラブ。エンブレムに記されるスローガン「Droit Au But(ゴールへ一直線) 」は、ラグビーから生まれたという。
1986年に会長に就任した実業家の故ベルナール・タピ氏の豊富な財力で、80年代後半から90年初頭にかけて、フランス代表のエースFWジャンピエール・パパンをはじめ有力選手を多数獲得。国内リーグ4連覇達成など黄金期を築いた。
しかし、1993年に国内リーグで八百長行為が発覚。タイトルを剥奪されリーグ5連覇はならず、2部降格の処分も受け、クラブ史に大きな汚点を残した。
このとき、その後Jリーグで活躍するドラガン・ストイコビッチも在籍していたが(1990年1月~)、クラブからの契約延長の提示を断り、1994年6月に名古屋グランパスエイトに移籍している。
これまで、リーグ・アン(国内リーグ1部)9回、クープ・ドゥ・フランス(カップ戦)10回、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)1回の優勝を経験。国内リーグはサンテティエンヌがもつ10回の最高記録にあと一つで並ぶ。
だが、黄金期以降はオリンピック・リヨンやパリ・サンジェルマンなどの台頭もあり、国内リーグの制覇は2009-10年シーズンの1回のみ。久しく優勝から遠ざかる。
ただ、CL制覇(1992-93年)はフランスのクラブ史上初の快挙でいまだ唯一の記録。(2021年現在)
「自転車競技場」だったスタジアム 美しい屋根が増設され変貌
クラブのホームスタジアムは1937年に完成の「スタッド・ヴェロドローム」。
実はこの名称(フランス語)、直訳すると「自転車競技場」を意味する。その名の通り、かつては自転車競技のトラックが設置されていたが、1980年代後半に観客席を増設するためにトラックを撤去。その後はサッカーやラグビーの試合で主に使用されている。
さらに2014年には、大幅な改修工事を経てリニューアル。全観客席を覆う美しい波状の屋根が新たに増設され、近代的なスタジアムに変貌をとげた。
2016年には国内通信大手のオレンジが命名権(10年間)を取得。現在は「オレンジ・ヴェロドローム」と呼ばれる。収容人数は約67000人。
パリSGとの因縁対決「ル・クラスィク」 対立感情はピッチ外にまで
オリンピック・マルセイユ(以下、OM)の因縁のライバルは、首都パリに本拠地を置くパリ・サンジェルマン(以下、パリSG)。両クラブの対戦は「ル・クラスィク」と呼ばれ、壮絶な試合となる(英語風に「フランス・ダービー」と呼ばれることもある)。
対立感情はピッチの外にまで広がり、サポーターの暴動によって負傷者や逮捕者が出ることは珍しくない。そのため、ダービーマッチ当日は入場チェックなどを含め、厳重な警備体制が敷かれる。
強い対抗心の根底には、強豪クラブとしてのプライド、国内1位と2位の大都市間のライバル意識、文化や民族の違い、などがある。国内リーグの優勝回数はともに9回で並び、競り合っている。
とはいえ、パリSGは1970年創立と比較的新しい。歴史の上では圧倒的にOMの方が古く、街の成長とともにクラブは歩んできた。
マルセイユで生まれた元フランス代表のエリック・カントナ(クラブOB)やジダンは、OMの選手たちに憧れて育ち、サッカー選手を目指したという。マルセイユっ子たちにとってクラブの存在は大きく、特別なものなのだ。
「ル・クラスィク」を観戦するなら、マルセイユを訪れたい。
(了)