カルチャー

訪れてみたい、“サッカー侍”が戦った街 ― ポルティモン(ポルトガル)

漁業で得た強さ」を見せろ! 1914年創立のポルティモネンセSC

1925年当時のポルティモネンセ
1925年にアルガルベ西部で開催の「ミゲル・クルス杯」を制し、初のトロフィーを獲得したときのポルティモネンセ(source: portimonensesad.pt

 ポルティモネンセSC(Portimonense Sporting Clube)は、ポルティモンを拠点とするスポーツクラブ。現在は、フットサルやバスケットボール、ハンドボールなどのチームも運営する。

 市内の実業家アマデウ・アンドラーデ氏が1914年8月14日に知人と設立したのが始まり。伝統カラーの白と黒の縦じまのユニフォームは当時から使用しているという。

 100年以上の歴史をもつが、「古豪」と呼べるほどの成績は残していない。

  1935年の「アルガルベ・カップ」初優勝をきっかけに地域リーグ(国内2部に相当)の常連となり、アルガルベ西部を代表するクラブに成長した。しかし、1934年に発足の「プリメイラ・リーガ」(国内1部リーグ)に初めて参戦するのは1976年のこと。長い時間を要している。

 クラブのアンセム(賛歌)には、「漁業で得た強さ」という歌詞がある。

 公式サイトによると、1940年代までは「漁業と缶詰産業がクラブの重要な支えだった」という。クラブの会長と地元の実業家の間に良好な関係が築かれ、多くの選手が缶詰工場で働いたと記される。

 一方、1950年代から60年代にかけては、缶詰産業の衰退による街の不況に伴い一転してスポンサーが減少。財政難に陥り、1958年にはホームスタジアムを競売で手放すなどの苦労があった。

 「漁業で得た強さ」――。歌詞に込められるのは、漁業で成り立つ街の経済情勢に左右されながらも、歩みを止めずに前へと進んできたクラブの歴史だ。

最高成績は1部リーグ5位 UEFA欧州リーグ出場1回の歴史

クラブのエンブレム

 クラブ史上最も輝かしい時代は1970年代後半から80年代にかけて。街の観光化で経済が回復し、クラブ財政が上向いた時期と重なる。

 1976-77年シーズンに初めて1部リーグに参戦。わずか2シーズンで降格したが、1978-79年シーズンに2部優勝で再び返り咲き、そこから1990年まで11シーズンを1部で過ごした。

 ハイライトは1984-85年シーズンの1部5位(過去最高、2022年現在)。これによりUEFAヨーロッパリーグの出場権を獲得し、セルビアのパルチザンとホーム&アウェーを戦った。2戦合計1対4で敗れたが、ヨーロッパサッカーの歴史にクラブの名を刻んだ。

 しかし、1990年代からは再び「2部リーグ常駐」の時代に。2016年までの27シーズン中、1部を戦ったのはわずか3シーズンだった。2016年以降は、4シーズン連続で1部在籍が続いている(注2)。

1937年完成のホームスタジアム 訳ありで「市営」に

 ホームスタジアムは街の中心部にある市営の「エスタディオ・ムニシパル・デ・ポルティモン(Estadio Municipal de Portimao)」。ポルティモン駅から徒歩15分の好立地だ。

 収容人数は9544人とコンパクトなうえ、サッカー専用。さらに急勾配のスタンドは戦況が見やすそうで、サッカーバカなら間違いなく「大好物」のスタジアムだろう。

 もとは1937年にクラブが建てたものだ。かつては「エスタディオ ド ポルティモネンセ スポーツクラブ( Estadio do Portimonense Sporting Clube)」と呼ばれた。なぜ、市営になったのか。そこには訳ありの事情があった。

 財政難により、クラブが1958年に所有を手放したことは既述したとおり。クラブはその後、賃料を支払ってスタジアムを使用していた。

 この問題を解決しようと市議会が介入。しかし、所有者との間で折り合いがつかず、1992年に訴訟問題に発展した。長引く裁判の影響で、2006年には約半年間スタジアムが使用禁止となり、クラブは70キロメートル離れたファロ市のスタジアムでの試合を余儀なくされた過去がある。

 2007年に市がようやくスタジアムの所有権を獲得し、名称を変更。現在に至る。

エスタディオ・ムニシパル・デ・ポルティモン
エスタディオ・ムニシパル・デ・ポルティモン(source: portimonensesad.pt
エスタディオ・ムニシパル・デ・ポルティモン
急勾配のスタンドは試合が見やすそうだ

GM兼副会長は元浦和レッズのポンテ氏 深まる日本との関係

 ここ数年は、日本人選手の出入りが多いクラブになっている。

 その要因の一つには、かつてJリーグの浦和レッズでプレーし、アジア制覇にも貢献したブラジル人MFのロブソン・ポンテ氏(現GM兼副会長)の存在があるようだ。

 2016年12月にポンテ氏がフロント入りして以来、中島翔哉、権田修一、安西幸輝ら代表クラスを含む日本人選手が多く在籍している。

ポルティモネンセの中島翔哉とポンテ氏ら
左から中島翔哉、サンパイオ会長、ポンテGM兼副会長(source: portimonensesad.pt

 また、元浦和レッズで活躍したDFマウリシオやFWファブリシオらJリーグ経験のある外国人選手も加入。明らかに日本とのコネクションをいかした補強を展開している。

 クラブは日本語専用の公式サイトを設け、スポンサーには日本企業も名を連ねる。世界でもまれに見る日本との関係が深いクラブになっている。

(了)


注1… レンタル期間の満了に伴い、2016年1月にポルティモネンセSCへ復帰し公式戦にも出場したが、同年2月に完全移籍で鹿島アントラーズに再び加入した。

注2… 2019-20年シーズンは降格圏の17位で終えたが、16位と最下位18位のクラブが監査によりリーグ参加条件に満たないことが発覚。ライセンス停止処分が下されたため、ポルティモネンセが繰り上げで1部残留となった。


「訪れてみたい、“サッカー侍”が戦った街」の記事一覧はこちら

by KEGEN PRESS編集部
LINEで送る
Pocket