育児中の元なでしこ岩清水梓、先輩のバトンつなぎ「WEリーグ」旗振り役を担う
昨年3月に第1子長男を出産した元日本代表で日テレ・東京ヴェルディベレーザDFの岩清水梓選手が5月8日、「WEリーグ」のプレーシーズンマッチに出場した。公式戦のピッチは約1年9ヶ月ぶり。
産後復帰を決断した背景には気持ちを尊重してくれた家族の支えと、前例のない道を切り開いた先輩、宮本ともみさんの存在があった。WEリーグでは唯一の「ママさん選手」となる。サッカーと育児の両立を目指す選手として、リーグが掲げる「女性活躍社会の実現」の理念を体現する役割も担っている。
Embed from Getty Imagesサッカーと子育ての両立に奮闘する先輩の存在が「産後復帰」を後押し
岩清水選手は中学1年生のときに日テレ・ベレーザの下部組織に加入。以来、在籍は20年以上。クラブのレジェンド的存在だ。
アンダー世代の日本代表で頭角を現すと、2006年に「なでしこジャパン」デビュー。その後は、中心メンバーとして2011年女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会の優勝、2015年カナダ大会の準優勝、2012年ロンドンオリンピック銀メダルなど数々のタイトル獲得に貢献した。日本代表では122試合に出場した。
2019年10月に結婚と妊娠を発表。32歳のときだ。「出産後は子ども中心の生活になるのが当然」と考え、当初は現役を引退するつもりだった。年齢的な潮時も感じていたという。
しかし、両親の反応は違った。「もう少しサッカーも頑張ってみたら」。心を突き動かされた。夫に相談すると、「続けたいなら、やったほうがいい」と気持ちを尊重してくれたという。考えを一変させ、プレー続行を決断した。
決断の背景には、産後復帰を前向きにさせたもう一つの理由があったという。
それは日本代表でともにプレーした先輩、宮本ともみさんの存在だ。岩清水選手の日本代表デビューから約8ヶ月後、宮本さんはなでしこジャパン初の「ママさん選手」として代表チームに合流することになる。
サッカーと子育ての両立に奮闘する宮本さんの姿を岩清水選手は間近で見てきた。
2人は2007年の女子W杯中国大会にともに出場。このとき、宮本さんは長男を帯同して戦った。宿舎に戻ると母親の顔に戻る宮本さんを見て、岩清水選手は憧れを抱いたという。
宮本さんがつくった前例が、復帰への気持ちを「後押ししてくれた」と岩清水選手は話す。
なでしこ初の「ママさん選手」。前例のない道を切り開いた宮本さん
宮本ともみさんは、岩清水選手より8つ上の先輩になる。
相模原SCを経て、1997年にプリマハムFCくノ一(現・伊賀FCくノ一三重)に加入。同年、日本代表に初選出された。1999年、2003年、2007年とFIFA女子W杯に3大会連続で出場、守備的MFとして活躍した。日本代表での出場数は77試合。現在は、三重県の高田短期大学女子サッカー部の監督として後進の指導にあたる傍ら、日本サッカー協会(JFA)のU-20日本女子代表コーチも務めている。
2002年に23歳で結婚。26歳だった2005年5月に第1子長男を出産すると、自主トレを経て翌2006年のシーズンからリーグ戦に復帰した。すると同年10月、2007年の女子W杯に向けて活動する日本代表から声がかかった。