育児中の元なでしこ岩清水梓、先輩のバトンつなぎ「WEリーグ」旗振り役を担う
宮本さんの時代、女性アスリートを取り巻く社会状況はいまとはかけ離れていた。宮本さんが結婚の予定について話すと、「もう引退するの!?」とよく勘違いされたという。「出産=引退」ではなく、「結婚=引退」という考え方がまだ根強い時代だった。
産後復帰したのちの代表招集は想定外だったという宮本さんは、「子どもを残してまで代表合宿に参加するのは難しい」と率直な思いをJFAに伝えたという。するとJFAは、どうすれば宮本さんが代表合宿に参加できるかについて検討を重ね、ベビーシッターを雇うことを決めた。宮本さんの「ベビーシッター付きの代表復帰」のニュースは大きな反響を呼んだ。
当時、JFAの川淵三郎会長は「海外遠征ではむずかしいが、国内では認めたい」と話している。しかしその後、宮本さんはベビーシッターを帯同して日本代表として5カ国に遠征することになる。
Embed from Getty Images前例のない道を切り開いた宮本さんが、産後復帰を思い描けたのには理由があった。
それは1999年に初めて出場した女子W杯(当時の名称は「女子世界選手権」)アメリカ大会でのことだ。宿泊したホテルでアメリカ代表選手がベビーカーで子どもを連れてチームメイトと一緒に食事をする姿を見た。衝撃を受けたと同時に「カッコいい」と思ったという。その光景は脳裏に焼き付いた。
アメリカでは、「ナニー・プログラム(nanny program)」(ナニーは「母乳」を意味する)と呼ばれる制度がある。ベビーシッターの費用をチーム、もしくはスポンサーが負担するもので、遠征や海外での試合に子どもを連れて行きやすい環境をつくっている。1996年のアトランタオリンピック前に始まったという。子どもと過ごすことは女性アスリートにとって当然の権利だということがアメリカでは早くから認められている。
こうした制度のおかげで、アメリカでは女性アスリートは安心して競技に打ち込むことができる。だから出産後も現役復帰する選手が多い。昨年5月に第1子長女を出産したサッカー女子アメリカ代表のエースFWアレックス・モーガン選手は東京オリンピック出場への意欲をみせている。
才能ある選手が出産や育児のために引退せずにプレーを続けられることは、アメリカの女子サッカーを強くさせた要因の一つになっている。
WEリーグは育児支援を推進、クラブ参入条件に「託児所の確保」
WEリーグは「Women Empowerment League」の略。「女子サッカー・スポーツを通じて女性が活躍する社会を実現させること」を理念に掲げている。
そのかじ取り役を担うのが、岡島喜久子・初代チェア(代表理事の呼称)である。
岡島チェアは、日本女子サッカーの黎明期に代表選手として活躍した一人。結婚を機に渡米し、アメリカの金融機関で長く働いた経験を持つ。アメリカの女子プロスポーツ界もよく知る岡島チェアの就任には期待しかない。
「女性たちの夢の限界をなくす一つの象徴になりたい」と語る岡島チェアは、WEリーグを日本中の女性の心の支えとなる存在にしたい考えだ。