訪れてみたい、“サッカー侍”が戦った街 ― ポルティモン(ポルトガル)
日本サッカーの成長とともに、いまや日本人選手の海外移籍は後をたたない。それはヨーロッパのみならず、世界各国に及んでいる。そんな“サッカー侍”たちが、かつて戦った街がある。いま戦っている街がある。それだけで、「いつか訪れてみたい…」。そう思わせる魅力がある。 |
元日本代表の金崎夢生がMFからFWの才能を開花させた街
ポルトガル南部ファロ県にあるポルティモン。都市の名前を知らなくても、ポルティモネンセSCの本拠地と聞けばピンとくる人が多いはずだ。これまで多くの日本人選手が所属し、現在も3人の侍がトップチームで戦っている。
その先駆者の一人が、2013年9月から約1年半プレーした元日本代表の金崎夢生(現名古屋グランパス所属)だ。大分トリニータ、名古屋グランパスを経て、2013年1月にドイツの1.FCニュルンベルクに移籍。しかし、出場機会に恵まれず半年で退団すると、欧州でのプレー継続を模索する中でにポルティモネンセにたどり着いた。
金崎といえば、献身的に動き回り、貪欲にゴールを狙うFWという印象が強い。しかし、若き大分時代の彼を知る世代は、トップ下で攻撃をけん引する技巧派MFとしてのプレーを記憶しているだろう。
小学生のころに始め、全国大会3位の実績をもつフットサルで磨いた足技で観客を魅了。大分トリニータ初のタイトル獲得となった2008年のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)優勝の立役者だ(金崎はニューヒーロー賞を受賞)。
そんな金崎が、MFからFWにコンバートされ点取り屋としての才能を開花させたのがポルティモネンセ時代。1年目の途中からFWを任されると7得点をマーク。2年目は半年で9得点を叩き出したが、シーズン途中の2015年2月に鹿島アントラーズにレンタル移籍、Jリーグに復帰した(注1)。がむしゃらさ、懸命さが伝わる金崎の前への推進力。そのプレースタイルはポルティモンの地で培われた。
ポルトガル南部のアルガルベ地方にある屈指のリゾート地
ポルトガル南部の海岸沿いはアルガルベ地方と呼ばれる。
先史時代から人類が定住していたとされ、紀元前1世紀ごろにフェニキア人が商業港をつくった。その後はローマ人やムーア人(北西アフリカのイスラム教徒)などに支配されたが、13世紀にポルトガル王がこの地を奪還し、ポルトガルの国土となった。
古くから漁村が多く点在するが、近年は温暖な地中海性気候と良質のビーチをいかした観光業が経済の中心を担う。ヨーロッパ屈指のリゾート地として人気が高く、夏の人口は数倍に増える。
最近では、女子サッカー日本代表が過去に何度か出場した「アルガルベカップ」の開催地としても知られる。
■缶詰産業で発展 近年は観光業が経済成長の原動力に
ポルティモンは、アルガルベ地方を構成する16の地方自治体の一つ。アラデ川の河口に位置し、人口は約5万5000人。首都リスボンから鉄道やバスで約3時間半の距離にある。
市内のアルカラルで発掘された墓石は先史時代の起源をしのばせる。また、ローマ人やフェニキア人、カルタゴ人の痕跡も見つかっており、地中海、大西洋、北アフリカを結ぶ商業的かつ文化的交流の拠点だったとされている。
近代に入ると、街は漁業と魚の缶詰産業により19世紀後半ごろから急速に発展した。とりわけ、第二次世界大戦中は缶詰の高需要を受け、絶頂期を迎えたという。
しかし、戦後は漁業が衰退。さらにモロッコの安い労働力を使う外国の工場との競争が激化したこともあり、缶詰産業も低迷した。1970年代以降は産業転換を図り、観光業を推進。漁業に代わる経済成長の原動力になっている。
ポルティモン名物「イワシ祭り」は夏の風物詩
新鮮な海の幸を使ったアルガルベ料理は、ポルトガルを代表する郷土料理でもある。
中でも、円盤型の鍋「カタプラーナ」を使い、エビやアサリ、イカなどの魚介類を白ワインで蒸した海鮮料理は世界的に有名だ。
一方、ポルティモン名物といえば「イワシ」。
とくにイワシのローストは有名で、街の伝統行事に「イワシ祭り(Festival da Sardinha)」があるほど。
「イワシ祭り」は夏に行われる。川沿いには2000以上の客席が設けられ、地元のレストランが出店。香ばしい焼きイワシのにおいが漂う中、ステージでは音楽ライブが響き、市民や観光客は郷土料理とポルトガルワインを楽しむ。
たくさんのイワシが一斉に焼かれるのを見るだけで、食欲がそそられる。ポルティモンの「夏の風物詩」だ。