カルチャー

訪れてみたい、“サッカー侍”が戦った街 ― フェンロー(オランダ)

1903年創設のVVVフェンロー 歴史を物語る合併、プロ化

1956年当時のVVVフェンロー
エールディヴィジが開幕した1956年当時のVVVフェンロー(source: Anefo, CC0, via Wikimedia Commons)

 1903年創立のVVVフェンロー(VVV-Venlo)は、オランダで最も古いサッカークラブの一つだ。

 その前身は、19世紀の終わりに地元民が作ったチーム。何度か名前を変えたのち、1903年2月7日に「VVV’03」としてクラブの歴史をスタートさせた。

 VVVは、オランダ語「Venlose Voetbal Vereniging(フェンロー・サッカー協会)」の略である。

 オランダ初のプロサッカーリーグが始まったのは1954年。だがこのとき、VVV’03は参加していない。参加したのは同年に発足したばかりの「スポーツクラブ・フェンロー’54(Sportclub Venlo’54)」だった。なぜなのか。これには理由があった。

 オランダサッカー協会(KNBV)は創設以来、長くプロリーグの導入に反対していた。そのため、プロになるため海外に渡った選手は代表チームに呼ばれなかったという。

 しかし、1950年代に入ると、オランダ国内で「プロリーグ導入」が大きく叫ばれた。

 そして1953年、オランダプロサッカー協会(NBVB)が独自に発足。これに合わせて10のプロクラブが新設され、翌年プロリーグがスタートした。この10クラブの一つがフェンロー’54だったというわけだ。このとき、KNBVはプロリーグ阻止のために加盟クラブに圧力をかけたという。

 結局、KNBVはプロ化の阻止を断念。1954年11月25日にNBVBを吸収する形で合併した。すると、プロ化を望んでいたVVV’03は、この翌日にフェンロー’54と合併したのだった。

■1966年にVVV財団を設立 プロとアマを分割

クラブのエンブレム

 2年後の1956年、プロリーグの最高峰として「エールディヴィジ」(オランダ1部)が新設された。新生「VVV’03」は最初の参加クラブとしてリーグの歴史に名を刻んでいる。

 クラブはその後、債務解消とクラブ運営の安定化に向け、1966年にVVV財団を設立。プロ選手のみが所属する「FCフェンローVVV」を再編成し、アマチュア部門の切り離しを決断した。

 2003年にはクラブの正式名称を現在の「VVVフェンロー」に変更。かつて切り離されたアマチュア部門は、VVV’03の名称に戻し、現在も地域クラブとして活動を続けている。 

タイトル獲得に貢献 栄光もたらした英雄クラーセンス

 VVVフェンローはいまだエールディヴィジを制したことがない。1960-61年シーズンの3位が最高だ。

 1956年のプロリーグ新設以来、約3分の2のシーズンをエールステ・ディヴィジ(2部リーグ)で過ごしている。2部降格の翌年に1部復帰へ導いた本田の活躍が「英雄」に値したのも納得できる。しかし、2020-21年シーズンに5季ぶりに降格。再び2部で戦う(2022年2月現在)。

VVVフェンローのクラブハウスに立つクラ―センス像
クラブハウス前に立つクラ―センスの銅像(source: efdn.org)

 それでも、かつて1度、国内タイトル獲得の栄光をかみしめた時代があった。1958-59年シーズンのオランダカップ(KNVB杯)優勝だ。

 このときの優勝メンバーで、元オランダ代表MFのヤン・クラーセンス(Jan Klaassens、1931-1983年)はクラブ史上最高の「英雄」と称される。

 フェンロー出身のクラ―センスは、17歳でVVV’03に入団。主力として活躍し、KNVB杯優勝に貢献した。

 その後、破格の移籍金をクラブに残し、5年間名門フェイエノールトでプレー。キャリアの晩年は再び故郷のフェンローに戻った。オランダ代表で57試合に出場し、主将を務めたこともある。

 クラブハウスの正面には、彼の銅像が立つ。

ピッチが近い! 8000人収容の「デ・クール」は観戦に快適

 街の南端にあるホームスタジアム「デ・クール(De Koel)」は山のくぼみに立地する。クール (koel)は、「くぼみ」を意味するオランダ語「kuil」のフェンロー方言だという。

VVVフェンローのデ・クール
選手たちは階段を下って入場。山のくぼみに立地するデ・クールならではの光景だ(source: nos.nl)

 1972年完成のスタジアムの収容人数は約8000人。サッカー観戦にもってこいのコンパクトさで、とにかくピッチが近い。

 日本の国立西が丘サッカー場(7258人収容)とほぼ同等だが、一部に屋根付きのスタンドを完備するデ・クールのほうが快適だろう。

 立ち見席もあるため、実際はより収容が可能だ。

 1977年のアヤックス戦では、約3倍の来場者数24500人を記録したという。

VVVフェンローのデ・クール
ピッチが近い臨場感たっぷりのデ・クールで試合が見たい!(source: rvdbekerom, CC BY-SA 3.0/via Wikimedia Commons)

 そういえば、本田がフェンローを去ったとき、クラブに入った移籍金の一部を充て、新スタジアムを建設するという話があったが、いまだ実現されていない。

 新スタジアムもいいが、その前に一度、ピッチから近くて臨場感たっぷりの現在のデ・クールで試合を観戦したいものだ。

 ビールを片手に、フリッツをほおばりながら。

(了)


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by KEGEN PRESS編集部
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