ストライカーコーチになった大黒将志は何を教えているのか?
今年1月、Jリーグ通算177得点の元日本代表ストライカー、大黒将志氏が現役を引退した。すぐに古巣ガンバ大阪の「ストライカーコーチ」に就任、後進の指導に力を注いでいる。
ストライカーコーチという聞き慣れない役職にも注目が集まった。日本サッカーの長年の課題である「決定力不足」の解消にもつながる。いったいどんなことを教えているのか? BS放送の番組で本人が語った内容をもとに指導方法や選手育成への思いを紹介する。
原点は高校時代に教わった「オフ・ザ・ボール」の動き
大黒氏は、大阪府豊中市出身。ガンバ大阪の下部組織を経て1999年にトップチームへ昇格した。2004年シーズンには日本人最多となる20得点をあげ、翌2005年に日本代表に初選出。同年は16得点をあげてガンバ大阪のJリーグ初制覇に貢献した。その活躍が評価され、その後はフランスのグルノーブルやイタリアのトリノFCなど海外でも経験を積んだ。
22年間のプロ生活で渡り歩いたチーム数は海外を含め12チームにおよぶ。生涯の得点数はJ1リーグ69得点、J2リーグ108得点、海外リーグ10得点、日本代表は5得点。実績と経験をあわせもつ日本を代表するストライカーとしてサポーターの記憶に残った。
ガンバ大阪での活躍がブレイクのきっかけだが、原点は高校時代に「オフ・ザ・ボール」(ボールを持たない局面)の動きを教わったことにあると振り返る。
中学時代は“ゴリゴリ”のドリブラー。コーチから「パスをしろ」と言われても、「何でパスしなきゃあかんねん!」と反発した。しかし、高校生になると相手ディフェンダーのレベルも上がり、得意のドリブルが通用しない。そこで初めてオフ・ザ・ボールの動きを教わった。パスを受けるときの動き出し方や、「プルアウェイ」(相手に一度近づいてから素早く離れる、マークを外す動き)などのディフェンダーとの「駆け引き」のことだ。それでも当時はまだ「何でこんなことしなきゃあかんねん」「抜いて、シュート打ったらええやん!」とその重要さを理解してなかったという。
実際にオフ・ザ・ボールの動きを意識したのはプロに入ってから。結果の出ない新人選手のころ、かつての教えを思い出しながら意識してプレーすると変化を感じるようになった。「おかげで22年間もプロ生活を続けられた」と話した。
「ディフェンダーの習性」を理解した動き出しを頭に刷り込ませる
現在は小学生から高校生まで下部組織すべての年代を指導している。
22年のキャリアで得た経験を、若い年代の選手にいち早く伝える。それがよい選手の育成につながると考えている。「Jリーグで年間で5点、6点とかではなく、15点、20点と量産できるストライカーを育てたい。経験のすべてを惜しみなく伝えるつもりでやっている」
その指導の主なポイントは▽ディフェンダーの習性を理解した上でのポジションの取り方、動き出しのタイミング、▽パスを受けるときの体の向き、だという。